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- 1973年11月20日(火) 政経・教育・行動委が本部で集会。「早稲田祭中止」を訴える (2版)
- 1973年1月1日(月)大学当局が保護者宛に文書を送付。学生への協力を呼びかけた (2版)
- 1973年2月5日(月)一文で3回目の団交。教育学部は学年末試験の延期を決定。政経学部の卒業試験中止。 (2版)
- 「故川口君の当新聞会活動について」(早稲田学生新聞会) (2版)
- 1973年11月22日(木) 機動隊警戒のもと早稲田祭開催。散発的に反対行動発生 (2版)
- 1973年4月25日(水)国鉄ストの影響で政経学生大会開けず。一文で試験日程発表。 (2版)
- 1973年2月22日(木)教育専任教員会が「2.22見解」を学生に郵送。 (2版)
- 1972年11月30日(木)政経学部生大会成立 (2版)
- 1973年4月5日(木)当局は前日の鉄パイプ襲撃を「相互の乱闘」とし、16号館を閉鎖。 (2版)
- 「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」(伊東高校山岳部OB) (2版)
- 1972年12月 (2版)
- 川口大三郎リンチ殺害事件の全貌 (2版)
- 1973年7月16日(月)5.17被告2名の第1回公判。 (2版)
- 「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」(早大2J) (2版)
- 1973年5月19日(土) 革マルの妨害で一文キャンパスに入れず。当面の拠点確保が課題に。 (2版)
- 私の回想~会うことのなかったO先輩に捧ぐ 第一文学部1年J組 T・H (2版)
- 「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」(早大2J) (2版)
- 1973年2月12日(月)教育学部、試験日程消化の重要性を告示。16号館地下を立入禁止に。 (2版)
- はじめに (2版)
- 1973年3月25日(月) 卒業式。早大中心主義礼賛の式辞に対し批判的な答辞。 (2版)
- ◇山よ、早稲田よ (2版)
- 973年5月17日(木) 革マル派に襲われ、機動隊に阻まれ、団実委は身動きとれず。 (2版)
- 1973年11月4日(日) 出身地の伊東市で川口君の一周忌法要 (2版)
- 「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」(早大2J) (2版)
- 1973年5月17日(木) 革マル派に襲われ、機動隊に阻まれ、団実委は身動きとれず。 (2版)
- 1973年2月19日(月)入試を前に本部はロックアウトに。革マル派2名が川口君の友人に対する傷害罪等で起訴される。 (2版)
- 1973年4月2日(月)入学式。総長団交要求は果たせず新入生と討論集会を持つ。 (3版)
- 1973年10月11日(木)大学当局が革マルの早稲田祭実行委員会との間で5原則を確認し、早稲田祭の開催を決定 (3版)
- 1972年11月15日(水)大隈銅像前で3回目の糾弾集会。再び機動隊導入 (3版)
- 1972年11月21日(火)一文学部長等9名が辞任。村井総長が弔慰金のカンパを募る (3版)
- 1973 年1月11日(木)政経学部で初の団交 (3版)
- 1973年2月9日(金)一文、教育、社学で学部見解が示される。 (3版)
- 1973年5月11日(金) 政経学部学大は学生集会に。教育学部で自治委員総会開催。 (3版)
- 1973年7月13日(金)当局の試験強行に対し二連協が試験粉砕中庭集会。革マルの襲撃でちりぢりに。 (3版)
- 1973年1月26日(金)政経当局は学生投票が有効と承認。自治会再建へ一歩か (3版)
- 1973年5月10日(木)商学部学生集会。一文自治委員協議会で総長団交と自治委員選に関して討議。 (3版)
- 1973年4月6日(金)革マルによる「統一行動」「統一学大」の策動。 (3版)
- 1973年6月21日(木)教育学部、自治会三役改選を公示。一文は当局へ公開質問状。 (3版)
- 1973年1月12日(金)一文で団交要求集会。商学部では革マルがクラス委員総会 (3版)
- 1973年2月10日(土)二文当局が自治会承認に向け確約書に署名。一文で新入生歓迎実行委の初会合。 (3版)
- 1973年6月23日(土)商議員有志が大学当局へ紛争解決を求める建議書を提示 (3版)
- 1973年1月13日(土)一文各クラスで自治委員選挙始まる (3版)
- 1973年9月 (3版)
- 1973年11月8日(木) 川口君一周忌。大学当局は全学ロックアウト (3版)
- 「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」(早大2J) (3版)
- 1972年11月10日(金)村井資長総長、川口君の通夜に5分間出席 (3版)
- 1973年4月18日(水)10号館に入れず、本部前で新入生連帯討論集会。 (3版)
- 1973年2月15日(火) 社会科学部教授会が学生自治に関する告示 (3版)
- 1973年9月17日(月)当局は危険な状態を予想。ロックアウトで始まった新学期第1日目 (3版)
- 1973年5月29日(火) 他大学との共闘を視野に入れたレジュメの出たWAC総会。 (3版)
- 1973年6月4日(月)革マルと衝突。法学部三役選挙の立会演説会が中止に。 (3版)
- 1972年11月22日(水)政経学部で400人が学生集会 (3版)
- 1973年5月30日(水) 教育学部で選挙管理委員会結成。支援の党派と革マルが乱闘。 (3版)
- 1973年4月24日(火)当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。 (4版)
- 1973年7月2日(月)学大情宣のためヘルメット着用で一文キャンパスへ。機動隊に阻止される。 (4版)
- 1972年11月29日(水)教育学部生大会成立 (4版)
- 1973年2月21日(水)政経学部長名で見解表明。 (4版)
- 1973年6月12日(火)法学部三役選挙は民青系が当選。行動委2名は3分の1の支持を獲得。 (4版)
- 1973年7月5日(木)政経、一文の学大は革マルと当局の妨害によって開催できず。 (4版)
- 「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」(母) (4版)
- 1973年1月24日(水)一文でピケスト。教育学部団交で新執行部の認知確認 (4版)
- 1973年4月4日(水)16号館で会議中の4.2集会実行委を革マルが襲撃。重軽傷多数。 (4版)
- 1973年6月13日(水)豊島公会堂で「負けるな早稲田大集会」開催。外濠公園まで学外デモ。 (4版)
- 1973年2月8日(木)全学スト・総長団交勝利を掲げ全学総決起集会を開催。 (4版)
- 1973年10月22日(月)5.17被告団第3回公判で裁判長が検察側に起訴理由の釈明を要求 (4版)
- 1972年11月27日(月)一文学大前夜、当局・革マルの妨害 (4版)
- 1973年3月6日(火) 教育学生大会で4月22日までの長期ストライキを決議。 (4版)
- 1972年11月9日(木)東大病院構内で川口君の遺体発見 (4版)
- 1973年1月29日(月)一文で学部団交。政経と教育では試験中止に。社学で新執行部発足 (4版)
- 1973年3月13日(火)二文当局が自治会承認の条件を提示。教育では教場試験取り止め。 (4版)
- 1973年9月3日(月)軽犯罪法違反で起訴の5.17被告2人の第2回公判 (4版)
- 1973年1月31日(水)一文当局は試験の無期延期を決定 (4版)
- 1973年5月14日(月) 法学部の学生集会で総長団交の可否をめぐって討論。一文樋田委員長が革マルに襲われる (4版)
- 1973年6月28日(木)教育学部、三役公選のための立会演説会に500名参加。 (4版)
- 1973年2月13日(火) 一文で総括集会。執行委員会は春休み以降の戦術を提案。 (4版)
- 1973年3月31日(土)一文で自治委員集会。4.2総決起集会の行動方針を巡って討論。 (4版)
- 1973年2月1日(木)一文は1月30日学生大会決議による第二波1週間ストライキ(1/31~2/6)に突入。 (4版)
- 1973年2月7日(水)一文の学生大会再び流会。当局は卒業試験実施に踏み切る。 (4版)
- 1973年10月 (4版)
- 1973年4月1日(日)入学式へ向け執行部と団実委の意志一致ならず。 (4版)
- 1973年4月23日(月)二文で学大成立。終了後、高田馬場まで500名でフランスデモ。 (4版)
- 1973年6月11日(月) 一文で選挙・筑波法案・早稲田祭を議題に自治委員総会を開催。 (5版)
- 1972年11月18日(土)文学部181教室で糾弾集会。馬場前委員長等が確約書に署名 (5版)
- 1973年2月6日(火)一文の学生大会不成立。一文当局は、卒業試験実施を発表。 (5版)
- 1973年5月7日(月) 一文で期末試験開始。学部団交は革マルの妨害により中止。商学部が自治会費を学生会(革マル派)に支払った経緯を釈明。 (5版)
- 1973年2月24日(土)ロックアウト中の本部正門前で機動隊と小競り合い。受験生と意見交換も。 (5版)
- 1973年6月14日(木)叛旗派67名、商学部11号館で逮捕される。 (5版)
- 1973年4月9日(月)文学部で授業開始。1年生の語学授業は多くが対話集会に。 (5版)
- 1972年11月24日(金)文学部28日、政経学部30日、学大の日程決まる (5版)
- 1973年1月30日(火)一文で学生大会。第二波 1 週間ストを決議。社学では試験延期 (5版)
- 1973年4月10日(火)革マルの代々木駅襲撃により三学部の学生大会流会。 (5版)
- 1973年6月25日(月)一文で2連協会議開催。新2年生30人参加。 (5版)
- 1973年1月17日(水)革マルが一文の自治委員選挙を妨害。十数名の負傷者が出た (5版)
- 仲間たちの思い (5版)
- 1973年6月30日(土)革マル系文連総会を粉砕。サ連と新執による早稲田祭実行委結成。 (5版)
- 1972年11月8日(水)一文2J川口大三郎君が自治会室に拉致される (5版)
- 1972年11月16日(木)一文「クラス討論連絡会議」主催の学生集会 (5版)
- 1973年11月19日(月)「早稲田祭中止」と「全学総長団交の再開」を呼びかけ図書館占拠。14人逮捕 (5版)
- 1972年11月17日(金)川口君追悼学生葬に4000人 (5版)
- 1973年2月3日(土)教育で学生大会。一文221教室で自主講座「山村政明シンポジウム」を開催。 (5版)
- 1973年7月 (5版)
- 1973年1月22日(月)政経執行部が3号館を封鎖。機動隊出動で逮捕者15人 (5版)
- 1973年1月20日(土)ロックアウト中の本部構内に突入。評価には賛否の声 (6版)
- 1973年5月2日(水) 一文の学部団交に革マルの妨害。当局は7日の再団交を確約。 (6版)
- 1973年4月3日(火)欺瞞に満ちた革マルによる「統一行動」の呼びかけ。 (6版)
- 1972年11月28日(火)当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立 (6版)
- 1972年11月20日(月)一文で授業再開。10日ぶりに革マルがデモ (6版)
- 1973年1月8日(月)大隈銅像前で全学総決起集会200名。内黒ヘル100名 (6版)
- 1973年1月25日(木)一文の試験中止に。自治委員総会開催の要件整う。教育学大でスト決定 (6版)
- 1972年12月9日(土)越冬への組織化始まる (6版)
- 1972年12月12日(火)クラス協議会で「9原則」を確認 (6版)
- 1973年1月 (6版)
- 1972年12月18日(月)一文臨執・行動委・クラス有志が冬期合宿 (6版)
- 1973年1月16日(火)政経学部の学部団交1000名結集。一文で自治委員選挙 (6版)
- 1972年12月1日(木)商・法で学生大会。法学部は定足数不足で学生集会に (6版)
- 1973年4月14日(土)結集を妨害され、教育学部学生大会が学生集会に。 (6版)
- 1972年12月2日(金)一文でクラス協議会発足。一文行動委員会結成 (6版)
- 1972年12月4日(月)全学部臨執連絡会議発足。父母有志が当局へ要望書提出 (6版)
- 1972年12月5日(火)「総長団交要求全学総決起集会」に1000人結集 (6版)
- 1973年10月6日(土)牛込公会堂で「10.6梁政明三周忌追悼集会」開催 (6版)
- 1972年12月7日(木)一文臨執による自主管理続行。政経学部で新執行部発足 (7版)
- 1973年5月8日(火) 講義中の村井総長を本部へ連行。5.17団交の確約書を取り付ける。 (7版)
- 1972年11月 (7版)
- 1972年11月25日(土)革マル派が一・二文クラ討連リーダーに自己批判要求 (7版)
- 1973年3月 (7版)
- 1973年1月27日(土)一文で新執行部選出。政経は第二波1週間ストへ (7版)
- 1972年11月14日(火)機動隊によって革マル救出。クラス討論連絡会議発足 (7版)
- 1973年4月21日(土)妨害の中、会場を15号館に移して一文学生大会を開催 (7版)
- 1973年5月9日(水)団交を巡る正統性の賛否。一文総長団交実行委を結成。 (8版)
- 1973年5月15日(火) 全国動員による革マル派の暴力的敵対行動激化。 (8版)
- 文字が記憶する川口大三郎 (8版)
- 1972年11月11日(土)川口君葬儀。本部でリンチ殺人糾弾集会 (8版)
- 1973年1月23日(火)一文で学生大会が開かれる (8版)
- 1973年9月16日(日)日本橋三越本店屋上で革マルに襲撃される (8版)
- 1973年11月 (9版)
- 1973年5月18日(金) 村井総長が、セクト間抗争と暴力を遺憾とする声明を発表。 (9版)
- 1972年11月13日(月)徹夜の糾弾集会 (9版)
- 1973 年1月7日(日)冬休み明け前日に全学拡大クラス会議を開催 (10版)
- 1973年3月9日(金)各学部合格発表日。 (10版)
- 1972年12月8日(金)「寒い冬を越すための大コンサート」開催。カンパを募る (11版)
- 1973年5月16日(水) 全学団実委(準)結成。当局は混乱への懸念を理由に総長団交中止を発表。 (11版)
- 1973年6月 (11版)
- 1973年1月18日(木)全学行動委、サ連他の部隊が馬場下で機動隊と衝突 (12版)
- それぞれの思い (15版)
- 1973年1月19日(金)政経学大で1週間ストを決議。11号館で革マルと攻防 (15版)
- 1973年5月 (17版)
- 1973年4月 (17版)
- メインページ (19版)
- 1973年2月 (19版)
- 1972年12月6日(水)一文臨執が演習室をバリケードによる自主管理 (20版)
- 1973年2月2日(金)政経学大で3ヵ月ストを決議。教育で当局と交渉。一文では当局へ6項目要求。 (28版)