文字が記憶する川口大三郎

提供: 19721108
移動先: 案内検索

はじめに

●川口大三郎の思い●

◇山よ、早稲田よ

◇日記(1971年4月)

◇活動

早慶戦観戦記
早稲田原理研の修練会に参加して
地方文化研究部発起
コンパのお知らせ

◇年譜

●川口大三郎を語る●

「大ちゃんはいつも明るい元気な、人様に好かれる人間だった」(母)

「胸を張って『大三郎は真の男だった』と言える」(母)

「息子を惨殺した犯人へ憎しみをこめて綴る…」(母)

「大ちゃんの遺志どおりに、一日もはやく暴力のない大学になってほしい」(姉)


「悔しいなあ。あんないい奴が死ぬなんて。まだ俺には信じられない」(伊東高校山岳部OB)


「早稲田をこよなく愛し、自ら“早稲田の住人”と称した彼」(早大2J)

「あんなに明るくて、タフでサッパリした川口を殺したやつは許せない」(早大2J)

「ボサボサの髪に、Gパン、Tシャツ、ゲタの音も高くひびかせながら」(早大2J)

「あいつは素直に物を考え、自分の足でたしかめて物を言うやつだ」(早大2J)

「川口君のくやしさ、苦痛を私たち自身のものとして」(早大2J)


「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」(早大一文中国語担当)

「彼独自の早稲田魂は永遠に都の西北早稲田の杜に生き続ける」(早稲田精神昂揚会)

「故川口君の当新聞会活動について」(早稲田学生新聞会)