1973年6月4日(月)革マルと衝突。法学部三役選挙の立会演説会が中止に。

提供: 19721108
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【概要】

16号館のバリケード、防衛部隊の4号館前結集など、早朝から行動委をはじめ反帝学評、叛旗派による動きがあった。これに対し武装した革マル150人が8号館、11号館から出撃。演劇博物館前で衝突となり、双方にけが人が出た。昼以降ロックアウトとなり、予定されていた法学部の立会演説会は中止となった。


【法学部の立会演説会中止】

予定されていた法学部自治会三役選挙の立会演説会は、革マルとの衝突で中止となった。
1973年6月4日付朝日新聞と早稲田キャンパス179号の記事を総合すると、おおよそ次のような状況だった。
8:00 ノンヘル80人が西門付近の塀を越え構内に入り、16号館3、4階にバリケードを築き、9時半に退去。
11:00 他のグループ60人が北門から入り、4号館前に結集。赤ヘル、青ヘル、鉄パイプ、竹ザオなどで武装。行動委も鉄パイプで武装。
11:30 黄・白・黒のヘルメットに鉄パイプ、竹ザオで武装した革マル150人が8号館と11号館から出撃。演劇博物館前で反帝学評、叛旗派と衝突した。これを、反帝学評は正面から、叛旗派は側面から向かい打ち、革マル派は8号館まで後退。その後再び
大隈銅像前で衝突したが、革マルは11号館に内バリを築いて立てこもった。再三の突撃にもかかわらずこの内バリを破ることは出来なかった。
12:30 当局は11号館での授業を休講とし、機動隊の配備を要請。その後、本部での授業をすべて休講とし、1月20日以来のロックアウトとした。この衝突で双方に20数名の負傷者が出た。
運送車両のガス欠により現場にヘルメットが届かないというアクシデントもあり、この衝突から脱出する際、全学行動委のメンバー数人が塀から転落するなどして負傷した。とくに一文では行動委のリーダー的存在が加療のため入院となり、その後の運動に大きく影響することとなった。
特筆すべきは、ノンヘルだった団実委と行動委のメンバーの後から現場に着いたクラス単位で活動していたメンバーが、ヘルメットをかぶり、鉄パイプで武装していたこと、また、黒ヘルの他一文の行動委は「LAC」と記したオレンジ色のヘルメットを着用したことだった。同じくヘルメット関連では、8号館から出撃した150人の革マルの中に、黄色と黒のヘルメットが混じっており、それが陽動作戦であったかどうか、詳細は不明である。また、演劇博物館前の衝突で反帝学評と叛旗派が二手に分かれて革マルと対峙したことから、二派の戦術共有が図られていたと思われるが、行動委との連携は首尾良くいかなかった。ちょうど昼休みの時間帯だったことから、多くの学生が周囲を取り囲んでいたことも、久しく見ない光景だった。
この衝突の最中に、革マルの8号館出撃を黙認したと、法学部執行部を糾弾する緊急ビラが配られ、法執行部はその弁明に追われた。また、政経学部執行部は、この衝突に関して闘争を歪曲するものだとして、糾弾する姿勢を示した。


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