1973年4月24日(火)当局が21日の概要を「騒乱と暴力行為」と告示。

提供: 19721108
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【概要】

大学当局は21日の事態を「騒乱と暴力行為」として自治会活動から逸脱した行為として自省を求める内容の告示を出した。また政経学部は告示で、新執行部に対し、当局が確認済みの学部投票の実績をもとに学友会選挙の実施と学友会委員会の組織をするよう促した。

【この日のできごと】

◎一文、自治委員協議会。三年生協議会。


【当局による21日の概要】

大学当局は「21日の事件の概要について」と題して、「当日の事実経過とこれに対処した大学の姿勢を正確に学生諸君に伝えることによって、このような騒乱と暴力行為の横行がもはや自治会活動と何らのつながりも持たないものであることを明らかにし、過激な行動をとった学生諸君に強く反省を求めたいと思います」とした。時系列で当日の学内の動きを記述したうえで「大学は、今回の事態を今後ますます激化しかねない暴力横行への警鐘として受けとめ、あるべき道筋からそれてしまった学生自治会再建問題を理性と対話の中に引き戻すよう重ねて努力したいと思います」とした。
この日、当局が把握していた事態とそれに対しての対応は以下の通りである。
1.開門後まもなく学外者が大部分と思われる反帝学評の集団約200人が本部構内に侵入し、青ヘルメット、覆面を着用した後、10号館などから無断で机、椅子などを運び出し、10号館と11号館、11号館と7号館の間の通路にバリケードを築き、旗竿などを多数林立させて集会、デモを始めました。(中略)大学は学外者と思われる集団が凶器を所持して校内に侵入し、そのためセクト間で衝突する危険が強まったこと、一般学生の巻き添えが懸念されたこと、大学の授業を可能なかぎり確保する必要があったことなどの事情から、ただちに本部構内の各門で教職員数人ずつが状況の連絡、通報など監視、警戒する体制をとるとともに、10時30分過ぎには次の掲示を出しました。
「学生諸君へ
今朝8時頃、他大学学生と思われる反帝系学生集団約200名がヘルメット・覆面・竹竿を所持し、構内に侵入した。
このようなことは、大学としては、当然容認することはできない。
速やかに退去することを警告しているが、本大学学生諸君は慎重に行動されることを望む。
昭和48年4月21日        早稲田大学」
2.10時過ぎから、8号館およびその周辺で、法学部自治会系と行動委間、反帝系と革マル派間それぞれ数人ずつが口論、小ぜり合いを始め、また、11時30分近くから3号館前で黒ヘルを含む行動委の集団約100人が集会をもち、学内は次第に緊張の度を増しました。黒ヘルと青ヘルの集団に向けて「ヘルメットをかぶっている学生集団はデモをやめ、集団を解き、すみやかに退去するよう」繰り返し放送しました。(中略)度重なる大学の警告を彼等は容易に聞こうとはしませんでした。およそ学問の府の秩序は、大学自治の精神に照らすと、理性と対話、説得と警告を根幹とし、またそれを限度としなければなりません。これが聞き入れられないときは、大学の自治は崩壊に瀕することになり、まことに悲しむべき事態といえましょう。
3.文学部構内では12時過ぎから集会がもたれましたが、革マル派の妨害で学生大会が開けず、文学部に集まった学生の一団約300人は、14時過ぎ本部構内15号館に会場を移し、入口に机、椅子などでバリケードを築きました。17時頃になって、ヘルメット、竹竿など所持の革マル派約70人が本部構内に入り、15号館前で黒ヘルグループと対峙しました。まもなく15号館から放水が始まり、革マル派はバリケードをはずしにかかるとともに、双方が竹竿、鉄パイプで突き合いを始めました。上からは机、灰皿などが投げられ、下からは投石などでこれに応戦、約20分続きました。その後、マイク合戦に映り、19時近くに一連の騒ぎはようやくおさまりました。(中略)今回の事件で、大学が最も心配した人身事故がなかったことはせめても不幸中の幸いでした。しかし、乱闘の場となった15号館は見るも無惨に破壊されました。まとめたところによると、(中略)損害額は、実に500万円に達します。

【政経学部当局の考える正常な状態とは】

政経学部では、ストによって前年度の学年末試験が延期されたままであった。また、学生投票によって学友会(=自治会)再建は決定されたものの、(革マルの妨害によって)学友会委員の選挙~学友会委員会の発足のプロセスに至らず足踏み状態だった。
4月24日付の告示の中で当局は、この状況を次のように表現した。
「現実の再建活動は、一つの事件をきっかけにして起こったために、排除された派閥が、他学部学生などの応援をえて、失地の快復などを試みるようになると、混乱がおこり、前進が止まった。ところが臨時執行部は、この一頓挫を、学部当局・大学当局の反動的弾圧的対応にもとづくものであるとし、予め示した条件に従うことをやめ、全く新たな新自治会を設立するのだと言い、「1.新自治会の即時無条件承認、自治会費凍結即時解除」「2.3号館地下、4号館の管理運営権を学生の手に」「3.11.27、11.17告示白紙撤回」「4.今後一切の学生処分を行わない確約」「5.総長団交要請の確約」「6.機動隊導入自己批判」「7.負傷者の補償」の7項目を掲げて、学部に迫ってきた。そしてこれらの要求の全面貫徹のためとして、学年末試験の時期を含む2~4月の間にわたり試験粉砕ストを行ない、臨時執行部のなかの一部派閥は、もしも学部が教場試験を強行するなら、暴力をもってこれが実施を不可能にするとまで広言している。(中略)学部は学友会再建のための条項に従って手続きが進められてきたことを認め、学部全学生の過半数が、現在行われている学友会再建運動に賛同し、これの達成実現を支持していることを、さきの学生投票の結果を点検することによって確認した。残るは第五項(編註:学友会選挙および学友会委員会の組織)だけなのである。なぜ示された手続きに従って、さらに進もうとしないのか。なぜ新自治会の即時無条件承認などと言いだすのか、理解に苦しむというほかない。すでに述べたとおり、学年末試験の実施と学友会再建のこととは、おのずから別のことであって、両者を結びつけようとするところに無理と飛躍がある。このことに関して正常な状態とは何かといえば、だから、二つを切り離して、純粋な再建運動を、いままで積み上げたところを足場に、臨時執行部が着実に前進するようになることであると考える。」
なお、当局の示した5項目は次の通りである。
(1)学友会再建のための学生大会の召集は、学部在籍学生の3分の1以上の署名による要求に基づいておこなわれる。
(2)学生大会は、学部在籍学生の5分の1以上の出席によって成立する。
(3)学生大会で、学友会再建を学生投票に付することを、出席学生の過半数で決議する。
(4)学生投票による学友会再建の決定は、学部在籍学生の過半数の無記名投票と有効投票の過半数の同意によっておこなわれる。
(5)以上のような手続を経て学友会の再建が決定された場合、学友会会則に定める手続に準拠して学友会選挙を実施し、これによって選出された委員によって学友会委員会が組織され、ここに学友会が正式に再発足することになる。
同告示は、「3年生以下の学年末試験については、正常な状態のもとで実施したいので、4月以降までこれを延期する旨の決定を行ってから、2ヵ月をこえた。以後、学内には混乱がつづき、現在も正常な状態とは言えない。」という書き出しで始まり、前半には暴力についての言及がある。曰く「まず、暴力追放運動のことである。事件の責任を自認した革マル派が、相かわらずゲバ棒を振う集団行動を続けたことは言うまでもなく悪い。けれども、暴力に報いるに暴力をもってするのは、自家撞着であろう。だから、これに対抗して立上った学生諸君のなかに、自分たちのほうから暴力をしかける武装集団が生まれたのも、遺憾至極であった。どんなに正当な理由があるにしても、静穏であるべき学内に暴力をもちこむことは、主張がどうあろうと絶対に許されるべきことではない。(中略)それなら大学は、この状態をなくすためになにをしたか、そのつど告示を出して、集団の暴力行為を非難するだけだったではないか、と問う者がいる。だが大学に、これ以上のなにができたであろうか。大学は暴力に対して無力であり、無力であることに誇りを感じている」。そして、1969年の10.27告示、1972年の11.17告示は「こうした暴力の日常化を予防するために公示された」ものであるとした。


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