1973年5月2日(水) 一文の学部団交に革マルの妨害。当局は7日の再団交を確約。

提供: 19721108
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【概要】

一文で開かれた学部団交の会場に革マル20名が乱入。議事が混乱する中で、7日の再団交開催と7日からの試験延期へ向けての“努力”が確約された。


【この日のできごと】

◎一文181教室で学部団交集会500名。(4.21学生大会の決議による)
■革マル20名が現れ、マイクを奪いコードを引きちぎるなどの妨害。


【一文で学部団交】

「5月2日、文学部での学生大会の決議をふまえ、文学部181教室において一文執行委は団交要求の集会を約500名の結集で開いた。これに対して革マル派20名が現われ、双方でマイクの取り合いがあった。3時過ぎ、五十嵐、柴田両教授を含む3名の教授を取り囲み、『ここに来た資格は』※などと質問していると、一たん壇上を降りていた革マル派十数名が、再び壇上に上がり、新執側とこぜり合いを繰り返した。また新執側は五十嵐教授に『学部長の出席する団交』の確約を迫ったが、五十嵐教授は『努力する』とのみ答えた。その後臨執側は壇上に座り込んだが、革マル派の妨害にあい、文学部キャンパスを離れ、8号館へ向い総括集会を持ち解散した。」(早稲田キャンパス177号)
この時五十嵐教授が確約した内容は「5月7日に再び学部団交を持つこと」「7日の試験については延期する方向で努力する」の二点であった。詳細については、4日に予備折衝が予定された。(『一文有志の記録』から)
これまで3回にわたる一文団交の概要は次の通り。
12.5 浅井邦二学部長(当時)に対し、川口君虐殺の責任追及と11.13告示等への自己批判要求を行う。明快な発言はなく、学部団交・総長団交の確約はしたものの反故となった。
1.29 学部長の代わりに十人委員会が登場し、団交を説明集会と称し、学部投票の条件を持ち出すなど、(学生)自治活動への介入の意図を露骨に示した。
2.5 またもや登場した十人委員会は、学生が要求した6項目に対してなんら誠実な回答をしなかった。
※これまで団交には学部を代表してメッセンジャー的役割の「十人委員会」が登場してきたが、この日は、学生担当の教務主任ですらない五十嵐教授他が登壇。「十人委員会」に代わるその任務と意図については、明らかな言明がなかった。


【文学部当局の功罪】

団交に向けた一文団実委のビラには、11.8当日、川口君の拉致現場に出向きながらも革マルの前に為す術のなかった大学当局に対し「『平穏な』キャンパスで革マルの『常任委』によるテロ・リンチが日常茶飯事であったことを熟知していながら、そこから限りない恩恵を受けていた教授会の学生管理を徹底的に糾弾しなければならない。11.8川口君虐殺に対する教授会の一つの回答は、11.13告示という学生自治活動への露骨な介入・弾圧であった。革マルのテロ支配に補完された学生管理支配をしく当局こそが川口君虐殺の共犯者であることを隠蔽し、自らの責任を第三者面してのがれようとしている当局=教授会を許すことはできない。」と、その姿勢を糾弾した。11.13告示とは、自治会執行機関停止、自治会費凍結、自治会室閉鎖、三役処分をいい、いずれも革マル常任委に関わる処分であり、当局は「当分の間の措置」としていたが、実際にはそのまま継続され、新執行部の活動を制限するものとなった。
加えて、冬休み、春休み、入試、期末試験等の学事日程を楯に、新執行部成立への五条件、十人委員会等をもって糾弾の矛先をかわし続けた。


【リンク】

5.2教授会団交に勝利せよ!