1972年11月28日(火)当局・革マルの妨害を跳ね除け、一文・社学学生大会成立

提供: 19721108
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【概要】

早朝の革マル突入によってロックアウトとなった文学部キャンパス。正門前に集まった1500人の学生は本部へ移動し、教育学部15号館402教室で学生大会を開催。定足数880名を満たす1400名余の参加を得て正式に学生大会は成立した。対案の取り扱いに手間取ったものの、賛成1369票でクラ討連議案書を可決。この結果、議案書に記載された代表9人による臨時執行部が発足。引き続いて、革マル執行部、全自治委員のリコールの採決が行われ、全員挙手で賛成。会場は拍手と歓声でわいた。

【この日のできごと】

◎早朝、文学部当局はロックアウト告示するも「大会粉砕」を叫ぶ革マル300人は文学部構内に侵入。一文学生は本部キャンパスに移動して他学部による「一文学大支援」集会に加わり、学生大会開催阻止を企てる革マルとの激しいもみ合いが続いた。
13:30 15号館401-2教室で第一文学部学生大会を開始、他学部生2500人も支援のため校舎の周りを取り囲む。会場入口で学生証や定期券などの提示を求めて厳重なチェック。1200人分の席は満席で通路にまで溢れる。クラス討論連絡会議より議案書を提出。一文非暴力推進協議会(原理研)より対案提出があって混乱する。
14:00 途中経過者1255名で学生大会成立(定足数880名)の報告がある。
15:30 自治会再建までの臨時執行部(臨執)の設置、リコール条項の新設など暫定規約7条を1398名の圧倒的多数の賛成で採択。革マル派執行部全員をリコールし、各学年からクラス討論連絡会議のリーダーを中心に臨時執行部9人を選出した。
17:00 社会科学部学生大会を15号館102教室で開催。636名で議案書を採決し、臨時執行部を選出した。
◎清水司理事は記者会見して「一文学生大会はあくまでも集会であって認めない」との判断。
■革マル前川健全学連委員長代行と秦全中自代表は、第一学館で「規約無視のデッチ上げ大会」「大会は民青の陰謀」などと記者会見。

【ドキュメント「一文学生大会」】

7時45分頃、“Z”の部隊300ほど文学部構内に入る。8時になると待っていたように当局はロックアウト。正門に行くと、長谷川良一先生、こっちを見つけて「まあまあ」なんて言っている。実にナンセンス。学校側のやる事なんてそんな事。23、24人結集する。それ程集まるなんて予想外。とことこ本部に行く。“Z”は1号館で集会。我々1Tはプラカードを作って4号館ロビーに結集。政経・法・商・教育の諸君が学内をデモ行進している。ものすごい数、すごい数。革命前夜みたいな雰囲気。1000や2000はいるだろう。4号館ロビーからなかなか出ない。ギッシリつまり、皆、緊張しきっている。緊張している中にもゆとり。ロビーに坐り込んで話なんかしたり、歌を唄ったりする。700人から800人はいるだろう。
11時・11時半頃、隊列・スクラムを組んでクラス単位にまとまり、出ていく。4号館から出て6列隊列。途中で“Z”の隊列とすれ違う。ハタを中途半端に出していたためにやぶかれる。全部もっていかれなかったのがせめてもの幸。本部前に行って坐り込み。皆デモなんか大部分の人初めてなんだろうけれど実によくやる。女の子まで坐り込む。まわりを他の学部諸君、防衛してくれる。そこに突如“Z”がつっ込んで来る。およそ200位。一度はね返されて、次には演壇を狙う。猛然とおし返す。圧倒的な結集力によって打ち破る。正門から押し出す。断固として押し出す。スクラムの途中が切れて4、5人後ろがいなくなる。まったくそんなことではどうしようもない。そんなことでは先が思いやられる。主力部分は演壇前、いちばん前、スクラム組んで坐り込む。K君が指名されて前に行ってマイクでしゃべる。後ろの方で「さすが中国語」とか言う声が聞こえる。
文学部はロックアウト、22号館か8号館か、使える教室がどこにあるか全くわからない。法科ではやりたくない。出来ればどこか他の場所で……、“Z”を追い出して会場を見つける。15号館の大教室が使えるという情報が入る。クラスごと隊列組んだまま駆足で他学部の手拍子に送られて、いちばん奥の15号館まで行く。
15号館の402教室。階段を上りながらホッとする。会場が見つからないんではないかと思われていただけに安心。会場に入る。2Tの後ろ、いちばん前の方。議案書が配られる。けさ6時半まで徹夜して出来上がったという。説明し終えると、一文非暴力推進協議会なるもの(後で勝共連合と判明)が議案書を配る。そこで説明させるかどうかで紛糾。議長の司会のまずさ、不慣れさも手伝ってかなり混乱。議案書どちらをとるかを採決すれば良い、それで済む問題なのだ。かなり紛糾。外では“Z”が迫っている。1時半頃から始まって3時をまわる。3時半頃やっと採決する。途中でデントウが消されたり、妨害があり、大学側は本部もロックアウトしたと宣言する。ナンセンス。
3時40分頃、議案書採決する。1400名余出席、1369名賛成。かなり暗くなるも紙吹雪がまい、シュプレヒコール、バンザイ、拍手が入乱れる。シュプレヒコールの後、隊列を組んで外に出る。拍手で迎えられ、1号館での報告集会。“Z”の妨害を排除し、歓びに満ちた集会。その後、学内デモを繰りひろげる。1Tクラスも先頭に立ってデモをする。その後、社学の学生大会を支援するため、教育学部の下の空地に坐り込む。肉マンetc.の差入。階段にバリケードを組む。うまく教えてくれる人がいる。青会(ママ 編注「青解」)の生き残りとか。クラスで個別デモやる。これ程1Tがやるとは正直言って思わなかった。闘争は団結をかたくする。もの凄いクラスのまとまり。団結。半分は女の子なのに、極めて戦闘的にデモンストレーションを貫徹する。まだまだやるぞ。断固闘うぞ。“1Tは自治会の先頭に立って闘うぞ”。
1T独自でデモをやったりもする。大分人間が欠けていなくなるが、それでもかなりやる。社学の学大が7時半に終わり、8時頃解散する。(『一文有志の記録』から)

【浅井邦二第一文学部長「大会認めぬ」とコメント】

文学部をロックアウトした後、浅井邦二第一文学部長は記者会見で「開門前から他大学も含む革マル派約300人が門を乗り越えて構内に入った。一応退去させたが、再び乱入する場合も考えられるので、一般学生との衝突を避けるために立ち入り禁止にした」と語った。さらに学生大会については、「大学として『署名が1300で全体(4300人)の総意を反映しているとはみられない』『大会に至る過程が短期間で、内容がよくわからない』などの理由から、「学生大会」として認められないとの見解を明らかにした。(1972年11月28日付毎日新聞夕刊より)

【リンク】

暫定規約 11.28一文学生大会で決定のもの