1973年5月17日(木) 革マル派に襲われ、機動隊に阻まれ、団実委は身動きとれず。

提供: 19721108
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【概要】

総長断交は行われず、学内外は革マルと機動隊とによる二重警備体制。学内に入ろうとする団実委を、革マルは数回にわたり武装襲撃し、機動隊は複数回外濠公園へ連行した。一方で、団交中止の告示を受けて、学内では平常通りに授業が行われた。


【革マル派、学内制圧】

当局の一方的な確約破棄によって中止された団交当日の状況を早稲田キャンパス178号は「総長団交の予定されていた5月17日、学内デモを行っていた各自治会執行部、行動委等の隊列に革マル派が襲いかかり、多数の負傷者が出る事態となった」と報じている。
当日は、大学周辺に多数の機動隊が配置され、正門を除いた各門も閉鎖されていた。早朝、『全学総長団交支援』を叫ぶ黒ヘル着用の他大学ノンセクト学生、赤ヘルの共産同叛旗派学生など約150人が登場したが、警備中の機動隊の規制を受け鶴巻公園に連行された。また、地下鉄早稲田駅の構内に集まっていた前日結成された全学団交実行委員会などの自治会執行部、行動委員会などのメンバーは、構内にまで規制に入った機動隊によって外濠公園にまで連行された。その後、公園を抜け出して四谷駅まで走り、地下鉄丸ノ内線に乗り大手町で東西線に乗り換えて大学に戻り、学内デモを展開した。
この間構内では革マル派約250人が「小選挙区制粉砕全学総決起集会」を開いていた。
学内デモを始めた団実委他の隊列の後方から別動隊の革マルが襲ってきた。
「しばらくして鉄パイプを持った革マル派が現れ、自治会の学生の後方から襲いかかり、またこれに構内デモを開始していた革マル派も旗ザオなどを武器にして合流し、自治会執行部、行動委、またそばにいた一般学生は構外に追い出された。追い出された学生が態勢を整えようとした時、これに機動隊が襲いかかった。」
この衝突で十数人の負傷者が出たほか、7名が逮捕された。三度にわたり団実委他自治会執行委、行動委のメンバーは外濠公園に連行されたが、夜遅くまで残った約1000人の学生は機動隊と対峙した。


【授業は平常通りに】

前日の当局による団交中止の発表を受けて、各学部では平常通りに授業が行われた。その様子を毎日新聞は夕刊で次のように報じた。
「早大(村井資長総長)では17日正午から予定されていた全学団交が中止となったが、同日の構内は『早稲田解放』を叫ぶ他大学の反帝学評、叛旗派の動きはあったものの、一応、授業は平穏に行われた。この朝、この二派の学生約250人は泊まり込んでいた三鷹市の東大三鷹寮を出発、午前7時45分、新宿区戸塚二丁目の面影橋から鉄パイプを持ち早稲田に向けてデモを始めた。しかし、機動隊に規制され、同大近くの鶴巻公園に押込められたあと、四谷外濠公園に誘導された。学生3人が凶器準備集合罪の現行犯で逮捕、鉄パイプ220本、竹ざお200本、火炎ビン20本が押収された。
これに対し革マル派は午前11時すぎから構内各所に約100人が集まり、気勢をあげている。一方、大学当局は正門だけあけ、あとは閉ざすという警戒体制。しかし、小雨のキャンパス内には団交中止をめぐる立看板もみられず『あくまで団交実現』を主張する全学団交実行委系学生の動きも目立ったものはなく平穏なうちに授業が続けられている。」
朝日新聞の夕刊には「大学当局は,団交中止を知らせる告示のほか同文のビラを各学部事務所に置いて学生に手渡すことにしていたが、文学部では正門前に積んで登校する学生に渡した。ビラを読んだ学生のなかから『どうして中止するんだ』『何でもセクトの争いに単純化してしまうんだから』など、大学の中止の態度を批判する声も出たが、ほとんどは平静に授業を受けた」とある。


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