1973年2月19日(月)入試を前に本部はロックアウトに。革マル派2名が川口君の友人に対する傷害罪等で起訴される。
提供: 19721108
【概要】
- 2月24日から始まる入試を前に、本部を皮切りにロックアウト(20日文学部、22日理工学部)に入った。昼過ぎ、構内で行動委が中心となって抗議集会を開こうとしたところ、当局が要請した戸塚署員に阻まれて解散した。また、別件で逮捕されていた革マル派5名のうち4名が起訴、1名が不起訴となった。
【この日のできごと】
- ●大学当局は入試に備えて本部を19日からロックアウト。20日からは文学部、22日からは理工学部構内も同様の処置に。
- ●先に逮捕された革マル派5名は、近藤、武原(72年12月29日起訴済み)を含め5名全員が完黙を貫いたため、2J級友への暴行で阿波崎文雄を傷害罪で、村上文男を暴力行為で起訴。佐竹実は容疑不十分で不起訴処分となった。
【証拠不十分で不起訴】
- 川口君のリンチ殺人事件に関連して、前年の12月11日に武原光志と近藤隆史、1月28日に阿波崎文雄、村上文男、佐竹実と、革マル派の5人が逮捕されていたが、そのうち武原と近藤に続いて阿波崎と村上が起訴、佐竹が不起訴となった。
- 「起訴状によると、阿波崎は川口君がリンチを受けたとみられる昨年11月8日の午後2時すぎ、早大文学部31号館のテレビ芸術研究会部室横などで、川口君を助けに来た学友の一人の顔などをなぐって10日間のけがをさせた(傷害)。また、村上は、同2時45分ごろ、同部室前で同様に川口君を助けに来た別の学友の顔を数人の仲間とともになぐった(暴力行為)、となっている。」(1973年2月20日付朝日新聞)
- 暴力行為で送検されていた佐竹については「現場にいたことは確かだが、暴力参加を裏付ける確実な証拠が得られなかった」(同紙)として証拠不十分で不起訴処分となった。
【抗議行動に対する当局の告示】
- この日の抗議行動に関して当局は、翌20日に次のような告示を出した。
- 「2月19日昼過ぎ行動委員会と称する黒ヘルメットをかぶった数十名の集団が立入り禁止中の大学構内に通用門から乱入し、集会やデモを行なった。のみならず、正門の封鎖を破り南門内側や柵、掲示板等を破壊し去った。
- これらは全く許すべからざる行為である。再びこのようなことを行なった場合には断固たる処置をとることを明らかにしておく。
- 2月20日 早稲田大学」
【学習会】
- 学年末試験が延期されて以降、クラス単位で集まる機会も減った。加えて入試期間のロックアウトとなり、帰省する者などもいて、休みムードが広がった。在京の有志によるクラス討論が、学外の喫茶店、下宿先などでたびたび開かれるようになった。『一文有志の記録』にも、2/17明治茶房、2/18渋谷、2/24ニューエコー等、学習会の記載がある。テーマは「自治会史」「戦闘的自治会論」「入試時に配るビラ」等。また、2月17日に国会に提出された「筑波法案」も議題になった。
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