1973年10月6日(土)牛込公会堂で「10.6梁政明三周忌追悼集会」開催

提供: 19721108
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【概要】

10.6集会実行委員会の呼びかけで「10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会」が牛込公会堂で開かれ200名が参集した。集会は二部構成で、第一部では実行委員会が基調報告を行い、第二部では特別公演があった。実行委員会は、70年10月6日の山村君の死、そして72年11月8日に再び川口君という犠牲者を生み出すことになった「早稲田の日常」を問い直し、それと対決していくことを呼びかけた。

【早稲田の日常を問い直す】

早稲田キャンパス184号は、正式報道としてではなく、会員の書いた断章としてこの集会の記事を掲載している。掲載に至る経緯として事前に10.6実行委からの集会アピールの掲載を拒否した旨が併記されており、山村=梁君の〈死〉を政治的に利用することを是としない編集部の姿勢がうかがえる。
「牛込公会堂で10月6日『10.6梁政明反日抗議焼身自殺三周忌追悼集会』が『10.6集会実行委員会』主催により、早大生を中心に約200名の参加で行なわれた。(中略)山村政明=梁政明君は70年10月6日未明、早稲田大学文学部側の穴八幡境内で、日本社会及び早大の状況を激しく糾弾する『抗議嘆願書』を残して焼身自殺をした。当時、第二文学部2年、25歳だった。」
続く「抗議・嘆願書」の抜き書きの後に「私が在日朝鮮人の問題を思う時に~」に始まる記述があり、日常生活の中で実際に関わりがないとどうしても在日朝鮮人の問題を実相として把握することができず、隔絶感を感じてしまう。そして人は、その日常生活外での出来事に動かされない、と記している。さらに続けて「私達が川口君の死に衝撃を受けたのは、それがまさしく自らの日常性の中での出来事であったからだ」とある。
追悼集会に向けて16ページの基調報告が10.6集会実行委員会から、呼びかけのビラが同委員会と中国研究会から出されている。
実行委による呼びかけのビラには次のようにある。
「11.8一周忌を2ヶ月後に迎えるにあたって私たちは、11.8とそれが生み出された日常とは何であったのか、という問いを私たち自身に、多くの学友に、そして友人の皆さんに投げかけなければならないと思うのです。そのことを通してのみ、川口君虐殺を生み出して来た早稲田の日常~血の支配の検証が成されるのであり、川口君の死に更に次の死を重ねることを拒否する私たちの思想が創り上げられていくのではないでしょうか。私たちはこの作業の一つとして川口君の死の2年前の10月6日、早大二文当局と革マル派への抗議・嘆願書を残して抗議の焼身自殺をしていった梁=山村=政明君の死の意味を検証していかなければならないということを提起したいと思うのです。なぜならば、私たちの多くが川口君の死を通じてのみ初めて言葉を交わし、出逢い、結ばれて今日に至っているように、あの70年10月6日、早大管理支配体制=早大当局と革マルによる二重の支配と抑圧、そして民族差別の只中で鮮烈な炎に身を包み孤絶の中で死んでいった梁君の、その死の代償と引き換えに立ち上がった多くの人々が、何ゆえに沈黙していったのか、ということを問わずして虐殺の日常の検証は空語に等しいと確認するからであります。言いかえるならば、梁君の死から川口君の死へと貫かれていた2年間における私たちの沈黙こそが11.8を生み出した根拠であると考えるのです。」
中国研究会のビラは、山村君の死をめぐる背景について次のように言及している。
「在日朝鮮人、梁政明のその死は、革マル系と日共~民青系の相互糾弾~~革マルのデマキャンペーン〈山村は、民青が入管闘争をやらなかったので…〉と、民青のマスコミと迎合した“反暴力キャンペーン”〈抗議・嘆願書の、彼が在日朝鮮人であることに関する部分を切り棄てて利用する等〉~~という『政治的評価』がなされていった。そして何よりも彼の死に対して決起せんとした学友たちも、自らの生のなかで、その死を埋葬し得なかった。梁政明の死は風化させられていった。何よりも我々自身の手で…。(中略)我々は72.11.8、2人目の死、川口大三郎を準備していたのだ。70.10.6から73.11.8に登りつめた約2年間の、この〈早稲田なるもの〉の、その意味を問い続け、それと内的に対決することが、死を背負った我々の生の課題であろう。」
10.6集会準備委員会名で出された集会に向けた匿名の在日朝鮮人の呼びかけビラには、山村君の死から川口君の死へ至るつながりが記されている。
「梁政明の生と死、希求と絶望の闘いと死が、川口大三郎の死の代償を通して開始された闘いの中にこそ内在化され、継承されようとした時、風化せしめられ切り捨てられてきた『過去』を、現実の生きる者たちの胸の中に奪い返しうる。」

【山村=梁政明君の死】

基調報告には、1970年当時の早稲田キャンパスに掲載された山村君に関する記事が引用されている。
「山村君(二文)焼身自殺。6日未明、文学部側の穴八幡境内で、本学の一人の在日朝鮮人(日本籍)が、焼身自殺をとげた。山村政明(梁政明)君、第二文学部2年、25歳。在日朝鮮人としての境遇と、革マルの暴力支配、及び当局への『抗議書』を残して。(以下、抗議・嘆願書全文)」
「山村君の追悼集会に800名~民青が主催。7日、山村君追悼集会が本部前において、12時と6時から、一法学友会、教育・社会自治会、二文民主化会議の主催で行なわれた。特に夕方6時からの集会には800名ほどの学生が参加し、山村君の死を悼んだ。革マルの暴力支配を許さない、早稲田の杜から革マルを追放する等確認していった。」
山村君は山口県出身。在日朝鮮人二世として生まれ9歳の時帰化。1964年高卒で就職した後、文学を志して67年早稲田大学第一文学部入学。この間生活は苦しく、学資や生活費を得るために様々な職業についた。キリスト教に近づいたのもこの頃である。68年二文に転部、自治会活動に積極的に参加するようになる。69年には二文有志連合の代表として学生大会の議長に4回選出された。当時二文では革マルが自治会を支配下に置こうとして、それに反対する学生を暴力的に排除していた。キリスト教徒として一般学生・民青と共に非暴力の立場に立った山村君も、学校内で数十回に及ぶ暴力を受けた。暴力による怪我や仲間の離反による失意、そして生活苦に追い込まれた山村君は、70年10月6日未明、在日朝鮮人に対する民族差別、そして早稲田における革マルの暴力と学校当局の無関心に抗議して焼身自殺を選んだ。抗議・嘆願書には詳細が綴られている。

【山村君の抗議・嘆願書から】

山村君は「在日朝鮮人の存在そのものが歴史の非条理だ」とし、自分の意志ではなかったものの、自民族と祖国を裏切って日本籍に帰化したことは「苦悩を倍増すること以外の何ものでもない」と記す。
そうした山村君が、早稲田大学に入学しそこで見聞きし体験したことは何だったのか。
「私は、学問、真理の探究を志して、早大に入学した。しかし、そこで見い出したものは、反動国家権力、独占資本に迎合した非人間教育でしかなかった。私は何人かの勇気ある仲間たちと共に、学園変革の闘いに参加していった。そのため、反動教授の指弾を受け、反民主主義、反革命、暴力学生集団革マルの数度にわたるテロ、リンチ等により、いく度か傷つき、登校の自由は奪われ、生活の破算、挫折を余儀なくさせられた。
私と同様に革マルの学園暴力支配により、退学に追いこまれつつある学友は少なからぬ数にのぼる。彼らの多くは、貧しい家庭環境に育ち、血のにじむ努力を積み重ねてこの学園に入学してきた。学園における目に余る不正矛盾に抗して立ち上り、闘いを敢行した故に、弾圧を受け、学生としての諸権利を抹殺されている彼らの心中は悲憤やるかたないものがある。
死を目前にした私が、最も切実に望むのは、次のことである。革マルの暴力支配と、大学当局の冷淡な措置により、経済的困窮の中で留年、退学に追いこまれながら苦闘を続けている学友たちに明るい光のさすことである。彼らが、暴力支配による身体生命の危険、経済的な生活破算から免がれ、学生としての正当な権利を回復することである。
二文のすべての教職員の方々、及び学生諸君、彼らの正当な闘いに理解と支援を与えて欲しい。暴力を一掃し、よりよき学園を建設していって欲しい。」
山村君が列挙した訴えは以下の通り。
一、反動的文教政策糾弾!
一、早大は、自民党、独占資本追従の反動的立場を脱し、建学の精神を復活せよ!
一、学園から不当な暴力を一掃せよ!
一、反民主主義、反革命、暴力学生集団革マルを自治会執行部からリコールせよ!
一、革マルは反動勢力の手先としてのハレンチなテロ、リンチ、窃盗行為及び、民主的学生運動への分裂、破壊策動を、厳重に自己批判し、真の革命勢力の立場、人民大衆の立場に転換、依拠せよ!
一、二文当局は、奨学金、カリキュラム、学生生活全般において、勤労学生の権利拡大を保障せよ。一文への腰かけとしての二文の性格を再考せよ!
一、二文の全学友及び教職員に訴える。事なかれ主義を脱して、一人一人が不正、矛盾との対決に立ち上って欲しい。昨年の自治会民主化闘争の盛り上がりを想起して欲しい。学友が自覚して立ち上り、連帯して闘うことのみが、暴力の一掃、自治会民主化、
学園改革への道を開くだろう。
一、日米安保条約廃棄!
一、自民党腐敗政権打倒!
一、米国の極東軍事支配を許すな!
一、日本独占資本のアジア経済侵略を許すな!
一、独占資本解体! ブルジョア抑圧階級打倒!
一、南北朝鮮の自主的平和的統一実現!
一、在日朝鮮人の民主的民族権利の弾圧を許すな!
一、金嬉老同胞の法廷闘争断固支持!
一、日本軍国主義復活の道を断て!


【リンク】

山村政明ー呪われた歴史の残滓がこの体内に『戦後青春への挽歌』(村上也寸志著 亜紀書房)より 
梁政明反日抗議自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ
梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ 早大中国研究会
梁政明反日抗議焼身自殺3周年忌追悼集会への呼びかけ 10・6集会実行委員会
怒りを糧に 10・6集会実行委員会
基調報告 早大10・6集会実行委員会
怒りを糧に 10・6集会実行委員会総括