1972年12月8日(金)「寒い冬を越すための大コンサート」開催。カンパを募る

提供: 19721108
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【概要】

「早稲田をナカナカ卒業できないやつの会」の呼びかけで、あがた森魚、頭脳警察、山下洋輔トリオ+1他の出演で「寒い冬を越すための大コンサート」が開かれた。当初は午後2時から大隈講堂での開催予定だったが、当局の妨害によって文学部181教室に場所を変えて行われた。同時刻、村井総長は事件後2回目となる記者会見に臨み「マンモス化の中では学生との直接対話はできぬ」と発言した。

【その日のできごと】

◎革マルの占領下にある文学部構内には隊列を組まないと入れず、クラス討論もままならない状態が続く。
15:20 丸の内、野村ビル7階「永楽俱楽部」で村井総長、清水司常任理事、浜田健三秘書室長3名が記者会見を行う。
夕刻 「寒い冬を越すための大コンサート」が文学部181教室で開催される。“早稲田をなかなか卒業できないやつの会”が主催し、山下洋輔トリオ+1、頭脳警察、あがた森魚ほかが出演。入場料は闘争資金カンパとなる。

【「寒い冬を越すための大コンサート」のビラから】

「このかけがえのない運動を時とともにタダ同然で『冬』に売り渡すことは決して出来ない。僕達自身の手で寒い冬を越そうではないか。越冬資金のためのカンパを集中しよう。すべての学友の、この大コンサートへの参加を呼びかける。1人1人の先を自分たち1人1人で購うために」。

【〈早稲田をナカナカ卒業できないやつの会〉の呼びかけ】

コンサートに先立って、コンサートを企画した〈早稲田をナカナカ卒業できないやつの会〉からの「『落とし穴』におちないために」というビラが配られた。


「『落とし穴』におちないために
ぼくたちはいま冬だ。この数日をとおして確かめ合ってきた『きみ』との熱い
熱いはじめての出会い、それがいま、すこしずつ〈ほんとに少しずつだが〉冷え
ようとしている。川口君のお母さんが心配したように。
『革マルも、当局も、冬休みを待っているのです』。
連帯と団結、という代りに、ぼくたちは『きみ』との熱い出会い、という。そ
して思い出そう、この出会いを、ぼくたちは川口君の死によって購ったのだ、と
いうことを。
そうだ、ぼくたちは『きみ』との熱いあつい出会いをはぐくんでいく斗いを、
ながく続けてゆかなくてはならない。川口君の死をぼくたちが忘れないかぎり。
ながい斗いをささえるために、カネがいる。考えたくないことだが、タイホ
(不当にも)される人や、ケガをする人の出る可能性に、ぼくたちは備えておか
なくてはならない。ビラ一枚をだすにもカネがいる。
そして、そのカネは、ぼくたちが、きみが、身銭をきるほかにない。
すこし財布をひらいてくれないか。
ぼくたちは、みんなの身銭を集めるために、休み前、7日を目標に、何ご
とかを起こそうとする。
みんな、それに集まってくれ!
きみとの熱い出会いを、川口君の死によって購ったものをはぐくんでゆくために。
〈呼びかけ者〉
早稲田をナカナカ卒業できないやつの会」


【人は集まるだろうか…】

コンサートの防衛、他学部の支援等に備えて行動隊も集結。一文1年生のクラスでは午前10時から有志が情宣へ…。
「12月8日、朝からうすら寒かった。4号館ロビー、10時、Nさんと会う。OとKが来る。4人。きょうのコンサートの行動隊。クラスの他の人間が居ないのでこの4名。10時半頃からビラ配情宣。11時50分頃まで正門のあたりでまく。途中でZのビラまき隊20人位。終えて4号館に戻る。コンサートの防衛任務。果たして人が集まるかどうか危惧の念を抱く。
マイクロバスで楽器を持って来てステージにそれを運び込む。山下洋輔tr.、あがた森魚、頭脳警察。バンドマン役。1時55分頃、人間を入れ始める。人はまあまあかなり集まる。あがた森魚が終る頃、本部でZが妨害行動、破壊策動をしているという情報。防衛隊、あわてて本部に向かう。4号館ロビーに結集後、22号館の社学自治委員選挙支援に向かう。20人位。階段のところにZ数人追い出して301教室へ。入ると選挙やってない。就職説明会なるものをやっている。全くナンセンス。選挙支援にいったのに何をしに行ったのか全くわからない。
ベランダにいると40人位の部隊が駆けてくる。Zだという声で2階から3階への途中でバリケードを築こうとするが、不完全なため簡単にZに蹴破られる。ぼくは踊場の少し上の階段まで行って全く孤立。Zにかこまれて、誰かの「やっちまえ」という声とともに数人にかこまれ、なぐられ、けられ、机のおいてある片スミへ追いやられる。一人でいたため手だしが全く出来ず、それがかえって幸いして、途中で「やめろ」という声とともにほって置かれる。Zはまったく知らない奴ばかり。社学の教室へ乱入。結局、就職説明会流会。バカバカしい。アホらしい。全く。社学の選管、一体全体何をやっているんだ。仕方なしに4号館に引き揚げる。
4号館に引き揚げて少したつと、Zがシュプレヒコールあげて隊列組んで40~60人位でデモって来て突入しようとする。第1回目はたいしたことなく無事切り抜ける。15分位してまた来る。こんどは今までやらなかった窓ガラスまでレンガや石、竹、ゲバ棒で割って、メチャクチャになる。よくケガをしなかった。中の人間、皆、討ち死に覚悟。緊急に協議した結果、北側から逃げることにして、8時40分頃逃げる。なんて奴らだ。夜になるとジキル博士とハイド氏の如く変身して極めて凶暴になる、Zの奴らは。(『一文有志の記録』から)

【1972年12月8日付毎日新聞夕刊より】

「8日、キャンパスで『寒い冬を越すための大コンサート』が開かれた。“早大からなかなか卒業できない人々の会”の企画。一枚500円の入場券で、学生層に人気を持つあがた森魚、「頭脳警察」などのフォーク・グループがノー・ギャラで出演し、収益金はソックリ資金に。11日からは冬休みに入り、アルバイト・シーズンとなるので男子学生は“土方組合”女子学生は“ウエートレス組合”に結集する。」

【村井総長の記者会見に対する新聞各社の反応】

2回目となる村井総長の記者会見に対し新聞各社は4段見出しで大きく取り扱った。各社の見出しとリード文からは、大学当局の姿勢への評価が伺える。
●1972年12月9日付朝日新聞
見出し「早大村井総長が会見。マンモス大の苦悩浮彫りに。『直接対話できぬ』 4万学生に“お手上げ”」
リード「11日からの冬休み入りが自治会再建運動の動向にとって一つのフシとみられている早大で、8日、村井資長総長が記者会見で当面の考え方を述べるとともに、大学当局もリンチ事件後初めて一連の問題に対する公式見解を文書にまとめた。同総長は学生4万人の早大の現状を『どうしようもないマンモス化』と述べ、本質的な改造がない限り根本的な解決はむずかしい、と訴えた。公式見解では、現在の自治会再建運動はまだ学生の総意を代表していないとの見方をほのめかし、反革マルの学生たちと大きなへだたりをみせた。」
●1972年12月9日付毎日新聞
見出し「『今は学生と会わぬ』早大総長“正常化”への苦悩語る」
リード「革マル派によるリンチ殺人事件からちょうど1カ月。早稲田大学では燃え上がった“暴力追放”の声をバックに新しい学生自治会を求める学生の苦しい歩みが、革マル派の抵抗の中で続いている。
学生の間には総長との“対話”を求める声も強く、告示を出すだけで積極的に話合おうとしない大学当局への批判も日増しに高まっているが、そうした批判の矢おもてに立つ村井資長早大総長は8日午後、東京・大手町の丸の内野村ビルで事件後二度目の記者会見を行ない、1)暴力追放で盛上がった学生の気持ちを受けとめ、学園正常化につとめたい、2)学部段階を飛越しての全学団交にはいまのところ出るつもりはない、3)セクトがあっても自由な議論のできる“開かれたセクト”でなければならない――など、1時間50分にわたって見解や心境を明らかにした。」
●1972年12月9日付読売新聞
見出し「苦悩の顔みせ 早大総長やっと会見。学生との対話考えている」
リード「村井資長・早大総長は、8日午後、学外で記者会見し、揺れ動く学園正常化への対応の仕方、新生自治会についての考え、学生との話し合いなど当面する諸問題について率直に意見を述べた。このなかで、同総長は・政経、一文など6学部で結成された新執行部や臨時執行部は、将来、新生自治会をつくる一つの機関として認める方向で検討する・学園正常化については、当面、暴力の排除に努力するが、ゆくゆくは学生一人一人の自由が尊重される秩序ある環境づくりを目ざす・団交はいま考えていないが、いずれ学部ごとに学生との静かな対話ができる場を設定したうえで考慮する――などを明らかにした。しかし、さしあたっての事態収拾策については依然手探り状態にあることをさらけ出すなど、マンモス大学・早稲田の悩める姿そのままに苦悩の色も隠し切れなかった。」


【リンク】

自治委員選出を通して各クラスを組織せよ!! 第一文学部臨執声明No11
寒い冬を越すための大コンサート(仮称)
当局の不当な対応を許さない