1972年12月6日(水)一文臨執が演習室をバリケードによる自主管理
提供: 19721108
【概要】
- 本部キャンパスに間借り状態で活動を続けていた一文臨時執行部が行動委とともに一文キャンパスに入り、202~209教室を自主管理し、各教室を臨執、行動委、クラ連などに振り分けた。この際、革マルによる妨害を防ぐため、教室前の通路の両端をバリケードで封鎖した。前日の学部団交によって出された全学団交の要請に対し村井総長は、各部自治会が正常な状態でないことを理由に拒否を表明。教育学部ではクラス委員総会を開催、臨執に代わって三役3名と常任委員10名からなる新しい執行部が正式に発足した。
【この日のできごと】
- 9:00 一文臨執はバリケード自主管理闘争を行い、201~209演習室を臨執・情宣・行動隊・クラス討論連絡会議などに振り分けた。文学部キャンパスは“拠点”死守を狙う革マルの支配が続き、臨執は本部キャンパスに間借り状態が続く。
- 10:00 一・二文教授会・教員会では11.28学生大会に関する報告がなされた。
- 10:30 学部長懇談会で村井資長は前日の一文団交で要求された総長団交を拒否した。
- 15:00 教育学部クラス委員総会が開催され、革マルの妨害をはねのけて、クラス委員126名(定員193、定足数65)の参加で臨執に代って三役3名と常任委員10人からなる新執行部を選出した。
- ◎村井総長は伊東市の川口サトさんを訪ね、弔意文と弔慰金500万円および醵出者名簿を渡した。
【第一文学部臨執声明No.7 12月6日】
- 当日臨執名で配られたビラには「文学部校舎内のバリケードについて」と題して、「この3日間、我々臨執は文学部キャンパスに入って活動しようとしたが、革マルの暴力的妨害によってできなかった。そこで臨執は非常手段としてやむを得ず202~209教室を確保し、我々一文自治会の仮本部とした。この本部を防衛し、更にクラス討論の発展のためにできる限りクラス毎でこの仮本部に詰めてほしい。この教室での授業を大歓迎します。教授と共に我々の仮自治会室を守ろう!」と書かれていた。また、自主管理した教室は、209臨執、208情宣、207行動隊、206・205・1年クラ討、204・203・2年、202・3、4年及び行動隊に割り振られた。革マルの妨害はなはだしく、討論ができたクラスは予想より少なかったが、臨執が初めて一文キャンパスで活動できた記念すべき日でもあった。
【村井総長は全学団交への出席を拒否】
- 「革マル派によるリンチ殺人事件をめぐって学生側から全学団交集会を求められていた早大の村井総長は6日、全学臨時執行部連絡会議に対し『現時点では要求に応じられない』と回答した。
- 早大当局はこの日午前10時半からの学部長懇談会で、この問題を検討したが、1)各学部の自治会が正常な状態でない現在、団交要求は受けるべきでない、2)各学部を飛び越えて大学のトップによる団交は適当でない、などの結論を出したという。
- これに対し全学臨時執行部側は7日、報告会を開き、改めて大学当局に抗議するかまえ。」(1972年12月7日付朝日新聞)
【バリ封に関する新聞報道】
- 臨執による教室の自主管理について、12月6日付毎日新聞夕刊には「『臨執』がバリケード “認知”迫り自治会室設置」という見出しで次のような記事が掲載された。
- 「早大当局に“認知”を求めている第一文学部自治会臨時執行部(反革マル)は6日、同学部教室の一部をバリケード封鎖し、仮自治会室とした。
- 午前9時、臨執のメンバー約50人は、同学部2階に並ぶ演習室202~209号室の8教室前の廊下の両端をイスや机でバリケード封鎖し、各教室を臨執、情宣、行動隊、クラス討論連絡会議などの部屋にふり分けた。(中略)革マル派は『不当占拠だ。自治会はわれわれ以外ない』と攻撃したが、混乱はなかった。
- この封鎖は5日夜の浅井邦二一文学部長との団交で臨執への自治会室解放、自治会費支払いを拒否されたため。
- 臨執は同日、クラス委員選挙を公示、すぐ各クラスで投票を進める手はずだったが、準備が間に合わず、7日以降に延期した。」
【12月6日付当局告示】
- 「学生諸君へ
- 11月8日の事件発生以来、不測の事態も十分に予想される流動的な状況と判断されたため、いまだ公開の席で、学生諸君への学部責任者からの説明を行なっていなかったが、学部は、学部と学生との相互信頼にもとづく平静な雰囲気での集会に出席して、学生諸君と話し合うことを拒むものではない。昨12月5日の学生集会に出席したのは、そのような考えにもとづく。
- しかしながら、昨日午後4時頃、一団の学生が第一文学部臨時執行部の名で学部代表者の学生集会への出席を求めてきたおりに、教授会会場への立入り、スピーカーを用いての議事妨害、窓ガラスの破損等の威圧的な強要行為があった。学部はかかる行為を決して容認するものではなく、再びこのような行為をくり返すことのないよう厳に戒めたい。
- 今後とも、暴力の根絶、学内の正常化を進めて行く上で、学生諸君の良識ある判断と行動とを期待する。
- 昭和47年12月6日
- 第一・第二文学部教授会・教員会」
【教育学部で正式執行部が発足】
- 11月29日の学生大会で既成自治会をリコール、臨執を選出していた教育学部では、午後2時から16号館106教室で自治委員総会を開催した。総数195人のクラス委員のうちすでに132人が選出されており、そのうちの124人が出席した。ヘルメットの革マル派約50人が「総会粉砕」を叫んで押しかけて、会場は緊迫した空気だった。
- 議事の進行は、以下の通り。
- 「総会はまず、3人の議長を選出したあと、臨時執行部代表から議案書に基づいて、これまでの活動報告、自治会運動の将来の方針、自治会規約改正問題などが提起され、熱心な討論が続いた。とくに規約改正については、今後自治会内に規約改正委員会を設置、規約が本当に学生の総意を反映できるよう検討することになった。
- 11日からの冬休みには、“越冬体制”をとって、各クラスに世話人を置き、革マル派の攻撃など、どのような事態にも、対応できるようにすることなどが確認された。また『一党一派による自治活動の私物化、セクト主義にあくまで反対する』などのスローガンも採択した。
- 最後に、自治会議長1人、同副委員長2人、同常任委員10人を選出し、早大8学部中6学部でスタートした臨時執行部の中で初めて、革マル派を追放し、セクトに支配されない正式な自治会執行部が誕生した。
- なお、政経学部はきょう7日、社会科学部も8日、クラス委員総会を開き、臨時執行部を解消、新執行部をスタートさせる予定。」(1972年12月7日付毎日新聞)
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