1973年2月24日(土)ロックアウト中の本部正門前で機動隊と小競り合い。受験生と意見交換も。
提供: 19721108
【概要】
- 政経学部の入試が始まり本部はロックアウトに。正門前に配備された機動隊が情宣活動を妨害。そのかたわらで文連常任委員会を名乗った革マル派が、規制を受けることなく合否電報、弁当販売をする。
【この日のできごと】
- ●73年度入試、政経学部から始まる。4年連続で機動隊監視下の厳戒態勢。
- ■ヘルメット、竹竿の革マル60名は第一学生会館から大隈講堂前まで機動隊の規制を受けることなく移動。一部の革マルは合否電報、弁当の販売に専念。
- ◎入試期間中に一文1Jクラス有志は、受験生に対して合否電報を受付しながら情宣活動を行い「ワセダ解放バッヂ」を販売した。
【本部正門前で】
- 入試1日目の模様を1973年2月24日付毎日新聞夕刊は「機動隊に守られ、早大入試、緊迫のスタート」の見出しで次のように報じた。
- 「午前8時、本部キャンパスの正門、西門が開けられると、約百人の受験生が待ちかねたように構内に入ったが、受験票のチェックもスムーズに行なわれた。同9時すぎ、白ヘルの革マル派約60人が大隈講堂前広場に姿を現わし、ビラ配りを始めると、反革マルを叫ぶ各学部自治会執行部(臨執)や行動委員会などの学生も『スト貫徹、ロックアウト粉砕』の横断幕を掲げて正門に近づこうとしたが、機動隊が排除。続々と押しかける受験生は、不安そうにキャンパスに入った。(中略)午前11時半ごろ、反革マル派の学生約50人が正門前に座り込み、集会を始めたため機動隊が出動。近くにいた学生約200人も加わり、小ぜり合いが続いたが、間もなく排除された。」
- 一方、後日の一文行動委連合(準)のビラには「我々に対してかけられた24日の集中的弾圧は、11.8以降の我々の断固たる闘いの展開に対する当局―権力の恐怖の集中的表現に他ならない。我々は24日、この我々への集中的弾圧~部隊の一部は早稲田大学から数百メートル離れた鶴巻公園に強制的に連行され部隊と分断せしめられた。~をはねかえし、断固として正門前への登場を貫徹した。そして昼の闘いにおいては我々が正門前で集会を貫徹せんとするや権力は我々を全員ゴボウ抜きにして圧殺せんとする。そして数度の攻防戦の後、我々は正門前での集会を機動隊の妨害を粉砕して貫徹した。そしてその闘いを通して正門前に結集している受験生と討論集会を克ち取る等の具体的連帯を成し遂げたのだ」と、その時の模様が報告されている。また、同じ正門前で革マルが文連常任委員会の名前で合否電報を受け付け、合格弁当を売っていたこと、さらに25日からは受験生が入構した後当局によって正門が閉ざされたと記載されている。
【早稲田解放バッヂ】
- 1Jクラスの有志が全共闘世代の兄姉のアドバイスを受けて作成、文学部を中心に配った。
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