1973年5月18日(金) 村井総長が、セクト間抗争と暴力を遺憾とする声明を発表。

提供: 19721108
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【概要】

団交中止に関して、村井総長が遺憾とする声明を発表。セクト間抗争と暴力は大学崩壊を招くと、教職員および学生に再考を促した。昼過ぎには一文中庭に居た革マル十数人に青ヘルメット、鉄パイプで武装した反帝学評40名が殴りかかり、革マル二人が頭を割られ重傷、一人が軽傷を負った。さらに青ヘル部隊は学館に向かい内部にいた革マルと乱闘。同時刻、別の青ヘル60名が3号館前でビラを配布中の革マルに襲いかかった。


【村井総長「誠に遺憾」と声明発表】

17日の団交中止に関して村井総長が声明を発表した。
「私は、この大学混迷のときに、話し合い集会をもって反省と新たな前進への転機を求めようとした。それにもかかわらず、その機が熟さず、かえって不測の混乱が予想されるに至り、集会を取り止めざるを得なかったことを悲しみ、また、集会を取り止めたことが、却って学生諸君の中に大学への不信の念を生み出したのであれば、誠に遺憾である。私は、その不明の謗りを甘んじて受けるものである。」
16日の団交中止発表以来、大学当局には積極的に話し合いを求める姿勢があるとする言い回しが頻出するようになる。
一方で、「暴力の否定と排除」に努めていることを強調しながら、革マル派の動きと川口君事件をきっかけに始まった運動を「力の論理」として押さえ込もうという意図が露骨になってくる。
「この間、大学は一貫して暴力の否定と排除につとめ、これに代わる理性への信頼を基調とした人間関係、集団関係の確立について、およばずながら努力しつづけてきた。しかしながら、いまなお、「力の論理」を信奉する学生セクトによる暴力が横行し、人身傷害行為が続発していることは許すことのできない不幸な事態といわなければならない。いま学園は、自治会問題をめぐって、セクト間や、セクトの属さぬ学生をもまきこんだ暴力がまかりとおり、理性による対話の場が極めて成り立ち難い状況におかれている。暴力を肯定すれば、理性が失われ、大学は崩壊への道をたどるほかはない。大学正常化への道は、学生間は勿論のこと、学生と学部教授会、あるいは大学当局との相互理解によってのみ切り開かれるのである。(中略)学園における各学部の自治会問題には、学外者を含むセクト間の抗争が非常に大きな影響を与えているということを、学園の全員が再認識してもらいたい。そして、その認識の上にたって、問題解決への道がいかにけわしいものであるか、また、果してその道がどこに求められるべきかを、真剣に考えられんことを切に期待するものである。」
少なくとも5月17日の時点までは、鉄パイプを使った無差別襲撃等の暴力の行使は革マル派による一方的なものであった。しかしながら、事実はそうであったにもかかわらず、総長をはじめとする大学当局の発言では、あたかも暴力行使が双方からあったかのように表現されている。故意に歪曲されていたと推測する根拠は、警備を依頼された現場の警察官の証言による。5月17日に逮捕された被告の裁判記録には、以下のような証言があった。
検察官側の証人である萩原寅次は『革マル派と反革マル派のトラブルは、当時(昭和48年5月8日当時)連日のように続いた』『5月の連休が明けたころからトラブルが続いており、革マル派が集まっているところに反革マル派が押しかけたということもあったようです』『現実に(革マル派側に)負傷者も出ています。』と述べ、また金子幸雄は『昨年(昭和47年)11月以降、早稲田大学構内で革マル派、反革マル派両派の内ゲバがあって、そのたびに警戒配備に出動し、その際両派の衝突を実際に見ている』『反革マル派学生が革マル派学生に対して攻撃をかけたということを聞いている。革マル派学生を(原文ママ)反革マル派とが、主導権を握る為には生命を辞さないという意気込みで、互いにやっていると聞いている。そういうことは、去年11月ころから今年にかけてしょっちゅうでした。反革マル派が革マル粉砕ということはよく言っていた』『竹竿や旗竿を持って追いかけまわしているのは見ました』と供述。
また、5月17日に関しては、昭和48年5月16日、前記のとおり翌17日に予定されていた村井総長と学生らとの集会をやめる旨を発表したのを契機として、これに不満の念を抱く反革マル派の学生らが、その17日に革マル派に対して攻撃を加えるおそれがあるという情報が入ったので、そのような情勢に対処するため、所轄戸塚警察署においては即日同署に「現場警備本部を設置し、署長松浦洋治が本部長となって部隊の編成を行ない、警戒警備の体制を整えた」と、当日の警備が革マル派を反革マル派の攻撃から守るために行われたという、驚くべき証言になっている。前述の警官2名の供述にも「あったようです」「聞いている」と伝聞情報に基づく認識が示されており、ここでは「情報が入った」とされている。誰によって提供された情報なのか。当時、「KK(警察=革マル)連合」「KKT(警察=革マル=当局)連合」という表現が揶揄的に使われていたが、事実はもっと根深いつながりだったようだ。


【セクト間抗争の背景】

たしかにこの時期になると行動委系の黒ヘルに混じって赤ヘル、青ヘルが散見されるようになった。11.8を端緒として始まった自治会再建運動の支援の立場をとる彼等は、第二次早稲田闘争を経験した、ある意味筋金入りの闘士であった。数において優勢だった革マルの前に旗をたたみ姿を消していた数年間を経て再び学内に登場することは、直接的な衝突のあるなしにかかわらず、彼等にとっては実戦であった。
5.17を前に叛旗が作成した討論資料には、当局に対する告発が並ぶ。
「大学当局は、『今回の事件を契機として盛り上がった学生諸君の自治会再建への意欲を尊重し、真に全学生の総意を反映する自治会再建へ向って、学生諸君ひとりひとりが真摯な努力を積み重ねてゆくことを心から期待するものである』という〈たてまえ〉と国家権力=機動隊の導入による闘争の直接的な圧殺、試験強行、ロックアウトによる学生の分断、新自治会の未承認(結果的にあるいは意図的にカクマルを擁護している)等々による現実の大衆Mの高揚を何としても圧殺し、収拾したいという〈ほんね〉の使い分けを駆使しつつ、大学秩序の『正常化』=支配を貫徹せんとしている。(中略)大学当局=村井は、川口君虐殺への『重大な意味を深く理解し』『暴力の否定』を強調し、これまでカクマルとゆ着し、カクマルの暴力を黙認してきたことの責任を一切回避し自己批判もせず清算し、自らの手を汚すことなく、権力=機動隊の導入をカクマルに対してではなく、大衆運動の圧殺のためにのみ導入し、文字通り最も悪質な暴力を行使している。ここに我々は戦後民主主義者の理念の虚妄性と現実過程における取捨の論理=プラグマティズムの暴力的な貫徹の姿を見ることができる。」
また、反帝学評が「5.30革マル全関東総力動員100を早稲田で撃滅!」のビラには「我々は5月30日、この間早大解放闘争に敵対してきた革マル派の最後に残った全関東動員の宗派部隊100名を、早大本部構内での正規軍戦をもって粉砕した」とし、さらに「この闘いこそは我々の手によって切り拓かれた『革マルの敵対の実力粉砕を通しての早稲田解放』の展望を、日共=民青の敵対と中核派の完全逃亡の中、鮮明に突き出すと同時に、日本学生運動の階級的統一を成し遂げる最良最強の部隊の何たるかをも、全人民の前に明らかにした」と続く。
後日「文責T」の署名で出された「早稲田を叛乱の炎で蔽い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ!」と題したビラには「党派による軍事力代行」の文言が見える。
「4月4日に始まる革マルの一連の武装襲撃に対して何ら軍事的観点からの反撃態勢を構築し得なかったWACの部隊は、5月8日の『総長』団交以後、革マルの密集したテロの前に学内活動の放棄を余儀なくされていた。そして17日の『総長』再団交へ登りつめる過程は、実行部隊の形成をほとんど語ることなく、形成を整えるためや必然性のないスケジュールの設定によって貴重な時間が無駄に費やされていった。すでに4月21日の一文学生大会の防衛が社青同解放派と共産同叛旗派の党派部隊によってその軍事力を代行されていたことの否定的意味とそれを克服する展望がこのとき最も切実に問われていたにもかかわらず、誰もそのことに答えることができなかったのである。17日夕方近く、弾圧のすきをくぐって大隈講堂前に結集したWACを中心とする隊列は、本部突入直後、待ち構えた革マル全国かき集め部隊の襲撃の前に蹴散らされ、再びは本部に入らなかった。圧倒的な数の学友を結集させたにもかかわらずすでにWACの部隊は崩壊しており、その弱体を決定的な段階で露呈する結果になったのである。このときすでにWACはその任務を終えたのであり、これ以降WACは党派の諸君に主導権を握られ、運動全体にとって桎梏物に成り下がって行くのである。」
また、この日あった反帝学評による革マル襲撃に関しては「18日の社青同解放派による革マル奇襲は、WACの軍事的弱体を見限っての行動であっただろう」としている。
当局が、セクト間抗争を強調する一方で、新自治会を目指す運動の中にも、支援する党派に対する抵抗感と依存せざるを得ない無力感が交錯していた。


【一文執行委員会の呼びかけ】

「現状において文学部キャンパスにおけるビラ撒きなど情宣活動が極度に不足している。その主な原因は、中心になって運動を支えてきたクラスの学友が自由に文学部に入れないことにある。中心になってきたクラス、学友は、革マルの鉄パイプの中を文学部キャンパスに行く**努力している。我々の運動は皆でやっていく運動だということをふまえ、全ての学友諸君に次の具体的行動を**した。
1)キャンパス等で学友が革マル派学生に囲まれた場合、最低限度見守っていること。そして暴力的事態を未然に防ぐこと
2)一人一人の学友をクラスで暴力から守ること。
3)クラス討論で様々な内部の問題、矛盾を積極的に話し合うこと
4)鉄パイプ等を見つけた場合は、すぐ8号館に通報して欲しい
5)10時以降、授業の前に8号館にクラスに撒くビラを取りに来て欲しいということ。」
このビラの最後は、「我々の運動は党派闘争ではない。文学部一人一人の学友の力で、文学部を自由の場に解放していくための運動である。各々できる範囲でやっていこう」と結ばれている。


【リンク】

早稲田を叛乱の炎で覆い尽くし、虚飾の碧雲を深紅に染めよ!
文学部一人一人の学友に訴える
総長団交勝利的に克ちとれ!