「2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていよう」(早大一文中国語担当)
提供: 19721108
- 殺された川口君が属する2Jで、私は週に2コマ中国語を担当している。こと中国語に関する限り、川口君はいっこう熱心ではなかった。前期は長髪にカストロひげの重たい頭をしていたが、夏の休みが開けてみると、涼しげなG I刈りに一変していた。
- 「どうしたんだ」と聞くと
- 「ええ、まあ暑いですからね」とニッコリ笑って、ヒョイと小さく頭を下げた。
- いつでもゲタをはいて、チンタラ歩いていた。鯛焼きを食いながら道を歩くことがあるとも言った。つやのよい、端正な顔に大きな目が輝いて、およそかげりがなかった。そんな姿だけをかいま見ると、まるで青春ユーモア小説の快男児のような印象があった。が、それはあくまで上べの一側面である。
- 彼がどんな運動をし、クラスでどんな役割を果たしてきたのか、死後に断片的に聞くのみで私はろくに知らないが、もちろん、こちらの方が彼の肝腎な側面であり実像である。
- 彼の死後の2Jの級友達の怒りの激しさが、彼の信望を語っていようし、何よりも、殺されたという事実自体が彼の存在の大きさを示していよう。
- 級友たちは、川口はセクトに属してもおらず、ましてスパイなどではさらさらないという。が、中核は彼を「正義に殉じた若き全学連闘士」に仕立てあげてしまった。民青にとっては、彼が中核に属していたかどうかなど大した問題ではないだろう。新執行部を選び出したノンセクトの諸君にとっては、当面その詮議どころではあるまい。そして、彼を殺した当の革マルが「川口君の死を無駄にしないために断固自治会を守り抜こう」と叫んでいる。既成の組織は、まさに彼ら自身のいう「政治主義的」に、川口君の死を利用している。無限の可能性を秘めた青年の死が、その意味が、党派的利害の渦の底に葬られようとしている。政治組織の倫理的荒廃は、政治目標の革命性とはうらはらに、どこまで進むのだろう。2Jの諸君の歯ぎしりが聞こえるようだ。
- わずか数十人を前にして「全学の学友諸君」と呼びかける神経、足場を持たないにもかかわらず、自らを選りぬきの前衛であるかに言いたてる神経、党派語ないし隠語だけで大衆に語っているつもりの神経。こういう自省を忘れた神経を、私は好きになれない。かなわんなと思う。遊離も孤立も承知のうえで、なお政策上それで通しているのだとしたら、それはいよいよ御免蒙りたい。私は、権利意識の乏しい、人畜無害の人間だから、平常感覚の中にいる方が安心なのである。
- 私は教員である。この事態を前にして、ただ感想を述べているだけではいけないのである。といって、事件以来、今日まで何をやってきただろう。集会の群にまじってウロウロ歩く。小ぜり合いに割って入ろうと、かよわい手を伸ばす。ロックアウトの、あるいは検問の入口に立って、浮かぬ顔でアゴを撫でる。たび重なる会議に出る。教室に出て話しあいに加わる。もっともこれは、とかく当局の処置を説明する役まわりになりがちだ。早い日は朝八時から、ときに夜の九時十時まで、校内に滞まってはいるものの、よい知恵ひとつ浮かぶわけではない。門わきに腕を組んで貧乏ゆすりをしていると、自分が無能の象徴に思われてくるのである。
- 大学は孤島でない以上、現実社会の政治状況と無縁でありうるはずもなく、万人を満足させる和平策など夢にすぎない。新執行部の前途は多難である。新執行部を選んだノンセクト諸君の責任は重い。が、私はせめて彼らの決意の持続を祈りたい。外からの政治を拒否することによって、内からの政治が創造されることを、彼らの苦悩の経験が貴重な財産となって受けつがれてゆくことを祈りたい。
- 夜更けの空を木枯らしが吹きぬけて、電線がうなりをたてる。郊外の駅から10分、家路をたどる足どりは重い。けだるい疲れに追い討ちをかけて、本誌に原稿を書けという。いま心中の声を、そのまま表そうとすればため息の音ばかりになろう。私はなんとも恥ずかしいのである。
- 11月30日・夜
- (1972年12月早大「人間」2号掲載)