1973年5月24日(木) 高田馬場駅で情宣中に革マルの襲撃を受ける。

提供: 19721108
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【概要】

高田馬場駅で情宣中の一文執行部が革マル20名に襲撃される。また、11.8以降姿を消していた革マルの主要メンバーが一文キャンパスに復帰した。


【課題は連絡体制の確立と拠点確保】

この時期の状況について、『一文有志の記録』には次のように綴られている。
「5月17日を境として、我々のM(編註:運動)は一定守勢に立っている。5月17日を中心としたZ全国動員時の我々の対応が、そのままなしくずし的に続いているといえよう。そのため、本部内に拠点(活動空間)を確保するという最低限の行動も容易には貫徹しえて:いないという状況である。そして、我々のM内部の混迷~それは戦術レベルの対立よりも根本のMに対する発想の違いからきている~とかさなりつつ、我々のM展開をよりいっそう困難なものとしている。
さらには、各クラスにおいて、我々がとりえる以上のスピードで状況が進展し、容易にはそれに対してクラス討論が有効に組織えないというところに至っている。
そしてそこでは、自治会の連絡体制の不十分さ、拠点の未確保などにより、クラスと自治会執行機関との接触が保たれず、ビラ・情宣などもZの執拗な妨害によって効率よく行われていない。
一方Zは、17、18、19日と全国動員体制をとり、鉄パイプ等の武器を極めて有効に使用し、また当局、機動隊三位一体となった攻勢により、我々に戦術的敗北を与えた。その後、全国動員体制を解除したZは、18日に青解、それ以上に我々に対していくら鉄パイプ襲撃、ドウカツをもってしてもつぶれないところから、かなり消耗しているものと思われる。その証拠に彼らは全力を文キャンと学館に集中し、本部構内には数名のレポを配置しているのみであり、文キャンにおいても正門にレポを立て、時間を決めて情宣をし、部隊でさっと引き揚げて、101Roomに詰めるという戦術をとっている。しかしながら24日のように、状況しだいによっては我々に対して鉄パイプテロをかけ、またドウカツをかけている。基本的には、文キャンにおいても彼らは部隊行動を取らざるを得ないところまでいっている。」


【一文キャンパスに革マル復帰】

『一文有志の記録』には一文キャンパスでの革マルの動きに関して次のようなメモがある。
「11.8以前の古顔復帰。文キャンをおおっぴらに歩いている。
水津、後藤、若林、田中。
11月会(編註:革マルによる偽装大衆組織)~「セクト暴力を批判して、一般学生は立ち上がれ」
藤縄はじめ5、6人の巡回(新2D、2E)。
クラス討論をやっていると介入。


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