1973年10月21日(日)監禁致死の容疑で革マル派4人を逮捕
提供: 19721108
【概要】
- 川口君リンチ虐殺事件に進展があった。監禁致死の疑いで村上文男(25)、武原光志(23)、佐竹実(23)、阿波崎文雄(26)の4人を逮捕。他に服役中の田中敏夫(24)など7人に逮捕状が出た。近藤隆史(24)、水津則子(23)、後藤隆洋(25)ら、革マル自治会幹部がほとんど。
【監禁致死の容疑で逮捕状】
- 警視庁公安部と本富士署は21日夕、早稲田大学自治会の元幹部4人を監禁致死の疑いで逮捕した。逮捕されたのは、村上文男(25)=二文自治会元委員長、武原光志(23)=二文自治会前副委員長、佐竹実(23)=一文自治会前書記長、阿波崎文雄(26)=一文自治会前会計部長の4人。前年にこの4人を含む5人が、川口君を助けに行った級友等への暴力行為で逮捕されたが、リンチ殺人については自供を得られず、村上、武原、阿波崎の3人は暴力行為で起訴され、佐竹は処分保留となっていた。逮捕のきっかけになったのは、川口君を救出に行った級友に対する暴行事件の公判で、級友が127教室で革マルに取り囲まれている川口君を見たと証言。この証言をもとに事件当日に見回りをしていた教員、警備員などに話を聞いたところ容疑者につながる証言が得られたもの。
- また、4人の他7人に逮捕状が出た。
- 田中敏夫(24)=元早大生、事件当時全学中央自治会委員長、近藤隆史(24)=一文学生、水津則子(23)=一文自治前文化厚生部長、後藤隆洋(25)=一文自治会前組織部長、矢郷順一(25)、緑川茂樹(22)他1人(?)。
- (参照資料:1973年10月22日付朝日新聞)
- 23日には、別件で横浜刑務所に服役中の田中敏夫が監禁致死容疑で逮捕された。捜査本部では、田中を事件の総指揮者と見ており(編注:事実は異なる)、事件当日、組織部長だった後藤が川口君を見つけ、阿波崎等と自治会室に連れ込んだとして各人の役割解明を進めている。
- (参照資料:1973年10月23日付毎日新聞)
【革マルの特別行動隊】
- 20日未明、都内9カ所他各地で革マル派による中核派を狙った襲撃事件が発生した。この捜査の過程で公安は、革マル派のゲバ組織「特別行動隊」による犯行であるとの確証を得た。その根拠となったのは、1)事件が東京のほか大阪、神奈川などで一斉に起きた、2)襲撃には少なくとも100人以上が動いた、3)検挙者に革マル派全学連幹部で、川口君リンチ殺人事件当時の早大二文自治会委員長、若林民生(26)がおり、今度も若林がゲバ隊長の一人として指揮していた、4)事件数日前から都内でレンタカーを借り、酸素溶接機やマサカリまで買い込んでいた……など。
- 革マル派の「特別行動隊」は、中核派の「人民遊撃隊」、反帝学評の「プロレタリア突撃隊」に対抗するもの。もともとゲリラ専門だが、党派抗争の劇化にともない“組織防衛隊”の性格が強まった。また、他セクトの組織内に諜報員を送り込んでいるとも言われ、7.4中核派アジト襲撃、9.15神奈川大学襲撃、9.16三越デパート事件、9.17鶯谷駅事件などもこの情報網を利用した犯行と公安は見ている。
- また、川口君リンチ殺人事件についても公安は「同行動隊の“早大部隊”の犯行と断定。このほど逮捕した元同大一文自治会会計部長阿波崎文雄(29)は同隊の突撃隊長で、若林も同隊の責任者の一人とみている。20日の襲撃事件も若林が突撃隊長をつとめているところから、同公安部は、『特別行動隊』の中核は早大革マル派とみており、構成メンバーは150人前後ではないか」と推定している。(1973年10月24日付毎日新聞)
- この時点ではまだ若林の関与は立証されていなかったが、後日別件で取り調べられた革マル派活動家の供述に若林の名前があったことから、川口君殺害容疑での逮捕へ至った。
【革マルの諜報活動】
- 革マルの諜報活動について、当時の早稲田中核派のキャップは次のように語っている。
- 「僕らのフラクションに当時、漫画研究会の1年生が来ていたんです。その学生から連絡をとってきて、北新宿の柏木の部屋で行っていた機関紙の読み合わせ会議に参加させていた。その学生が川口君と同席していた。72年の11月か12月に出された革マルの社会科学部学生大会議案書に『川口は柏木の中核派アジトで会議に参加していた』と書いてありました。ここまでわかっているということは、あの学生が革マルに密告したということ、それ以外に考えられない訳です。」
- 「過去にも何回かあって、70年の3月でしたか、前進社に二文の女子学生が『中核派の合宿に参加したい』と電話してきました。我々は信用して、筑波山麓で行った合宿に参加させました。そこから帰って4月に僕が学校に行ったら、革マルに捕まって教育学部の自治会室に連れ込まれた。もう一人、反戦会議のメンバーも捕まった。私は第二学館の死守闘争で逮捕されて拘置所に入っていますから調べれば中核派とわかるんだけれども、なぜもう一人の彼までがと不思議でしたが、革マルの機関紙『解放』に合宿の帰りのバスで我々が歌った唄まで描いてあったんで、その後連絡がつかなくなった女子学生がスパイだったとわかりました。」
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