1973年4月5日(木)当局は前日の鉄パイプ襲撃を「相互の乱闘」とし、16号館を閉鎖。

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本部大隈銅像前で「革マルの4.4鉄パイプ襲撃」糾弾集会が開かれた。そこに前日の襲撃に関与した革マル数人が現れたため、彼等を取り囲んでの集会となった。一方当局は、革マル派による一方的な襲撃事件だったにもかかわらず「相互の乱闘事件」と断定し、現場となった16号館を閉鎖した。

【この日のできごと】

◎前日の武装襲撃に対して大隈銅像前で糾弾集会がもたれたが、革マルの敵対。
●当局は「4/5告示」で、前日の革マルによる一方的な鉄パイプ武装襲撃を「相互の乱闘事件」として処理、16号館を閉鎖。


【16号館を巡っての当局告示】

「昨4日午後6時30分頃、16号館およびその周辺で革マル派学生と反革マル派学生との間に乱闘事件があり、数名の負傷者を出すにいたった。
学生としてあるまじきこのような暴力行為を再び起さないよう厳重に警告する。
     4月5日       早稲田大学」

【当局による「暴力行為」への警告】

「4月に入り学園に新入生を迎えたが、大学においてしばしば暴力行為が発生していることは、まことに悲しむべきことである。
さる2日の大学入学式において、学外者と思われる者を含む行動委員会と称する学生集団が、式場に乱入し、壇上において参列の教職員に対し、激しく暴力を振るうとともに、壇上を占拠し、入学式の続行を不可能ならしめた。その結果、参列の新入生諸君ならびにご父兄に対し、いちじるしい迷惑をおよぼすに至った。また、4日の夕刻には、本部構内、16号館およびその周辺において、革マル派学生集団と反革マル系学生集団の間で乱闘が行われ、数人の負傷者を出し、さらに5日午後にも、銅像まえにおける両派の争いから、負傷者が出るに及んだ。
このような一連の暴力行為は、昨年11月8日の事件を契機として、広く学生諸君の間から盛り上がった暴力追放の運動にまったく背反する行為でありつよくいましめなければならない。
大学はこのような危険な状態を放置しておくことはできない。今後も状況によっては警察力による暴力排除など厳しい措置を講ぜざるをえない。
暴力行為をはたらく者に対し、強く反省を求めるとともに厳重に警告する。
昭和48年4月7日    早稲田大学」
当局は、あくまで革マルと反革マル両派の争いであると強調するにとどまり、襲撃した革マルに対する措置は何もとらなかった。「両派」とすることで、新入生の目に、新執行部の自治会再建運動が単なる反革マルの派閥争いに見えることを狙ったとも伺える。


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