1973年4月2日(月)入学式。総長団交要求は果たせず新入生と討論集会を持つ。

提供: 19721108
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【概要】

本部前で4.2新入生連帯全学総決起集会の後、入学式の開かれる記念会堂がある一文キャンパスへ向かう。途中、前方にいたヘルメット部隊が機動隊によって鶴巻公園へ誘導されたが、規制を振り切って記念会堂へ。壇上の村井総長に団交を迫ろうとしたが阻まれ、目的は果たせなかった。新入生から「帰れ」の声を浴びながらも、説得を続けるうちに新入生からも発言があり、討論の輪が広がった。革マルはヘルメット姿で “闘う自治会”を打ち出して新歓集会。

【この日のできごと】

◎入学式。総長団交要求には失敗するも、一部新入生との連帯集会。
■革マルはヘルメット姿で「新入生連帯総決起集会」。相変わらず「闘う自治会」を主張。理工学部に鉄パイプ武装部隊200名を待機させる。
■午前11時過ぎ、地下鉄東西線高田馬場駅の構内で集会中の中核派を革マル派が襲う。


【4.2新入生連帯全学総決起集会~入学式】

●黒ヘル&ノンヘル混合
前日開かれた4.1全学集会で正式に結成された4.2集会実行委員会の主催、全学団交実行委員会の呼び掛けによる新入生連帯全学総決起集会が、午前10時から本部図書館前で開かれた。集会に参加したのは、一文・政経・教育の各自治会(二文はオブザーバー参加)、一文・二文・政経・法・教育の各行動委員会、一文・二文団交実行委員会、政経・教育のスト団交実行委員会、11.8サークル連絡会議で、新執行部系のノンヘルと実行委系の黒ヘルの混合部隊であった。
入学式介入の目標が(1)当局を糾弾し村井総長に全学団交の確約を迫る(2)新入生に川口君虐殺の真相とその後の運動を報告し新入生との連帯を図るという2点であることを確認。旗ザオを含めた黒ヘル90人の第一集団に続いて黒ヘル80人の第二集団、ノンヘル80人の第三集団がデモ隊列を組み一文キャンパスの記念会堂に向かった。
●機動隊の規制
体育局~馬場下~正門一帯合わせて約25台の装甲車および4台の放水車その他小型車多数。
文学部に向かうデモ隊は馬場下で機動隊の規制によって進行を阻まれ、舗道に押し上げられた黒ヘルの第一・第二集団は、機動隊に挟まれたサンドイッチ状態で鶴巻公園まで連れて行かれた。黒ヘルに続いて記念会堂に向かっていたノンヘルの第三集団は、隊列を解いて機動隊の規制を逃れ文学部キャンパスに到着。記念会堂前で新入生への情宣を行った。
●革マルの動き
9時半過ぎからで「新入生連帯総決起集会」を開き、「一文常任委」の名前で「第一文学部及び早大全学の全ての自治会諸団体に統一行動の実現を呼びかける」と題したビラを配布した。集まったのは、他大学の同盟員を含めた旗ザオ・白ヘル約80人。(理工学部に鉄パイプで武装した200名が待機。)
●黒ヘル走る
鶴巻公園の出口4カ所を封鎖され軟禁状態だった黒ヘル部隊は、唯一開いていた出口へ向かって走り、機動隊の追跡を振り切って脱出。隊列を乱したまま文学部キャンパスへ向かった。機動隊の規制が予想された馬場下交差点では全員が一斉に走り出し、一気に記念会堂へなだれ込んだ。
●記念会堂内では
記念会堂前で情宣を行ったノンヘル部隊は、黒ヘル部隊が機動隊の規制で文学部キャンパスに入れないと判断し、11時20分頃プラカードを掲げて2階入口から記念会堂内に入り、演壇の下に座り込んだ。村井総長の式辞が終わるのを待って糾弾発言を行うというのが、ノンヘル部隊の合意だった。しかし、一文キャンパスに着いた黒ヘル部隊は、直ちに2階入口から会場に突入し、ノンヘル部隊の説得を振り切って一気に演壇に駆け上がった。折しも式辞の最中だった村井総長は、黒ヘル部隊と当局関係者がもみ合っている隙に、壇上の教職員とともにガードマンに守られてその場を離れた。
●「帰れ!帰れ!」の声を浴びて
予期せぬ出来事に新入生の間からは「帰れ!帰れ!」の声があがった。マイクの切れた会場では、壇上からの「聞いてくれ!」の声もかき消され、会場を去る新入生もではじめた。「なぜ入学式をつぶすのか!」と迫る新入生に、「つぶすのが目的ではなく、川口君虐殺の真実と早稲田解放の闘いを伝えたかったからだ」と、一部のメンバーはヘルメットを取り壇上を降りて新入生の間に入った。ハンドマイクが届くと、川口君の同級生が、事件の経緯と生前の川口君のことを語った。これを機に会場は落ち着き、残った約1000名の新入生との討論集会が実現した。この時、川口君追悼学生葬の時の録音テープが流された。その後、討論会場を本部へ移し3時頃まで集会・デモを行った後、16号館で総括集会を開いた。
(昭和48年4月10日付早稲田キャンパス第176号より抜粋)

【当初のイメージ】

入学式への介入については、当初のイメージがあったことが『一文有志の記録』に残されている。
「我々の当初のイメージとしては、整然と入学式に介入し、最前列において新入生への情宣、さらには総長に発言を要求し、新入生に対してアピールして、討論が出来ればした後退場する予定であった。」
これは、自治委員総会で話し合われて決定されたことで、「新入生に背を向けて総長とやり合うことは新入生を象徴的に無視することであり、してはならないこと」という考えに基づいていた。また、この考えが受け入れられない限り、一文執行委員会としては4.2実行委員会に正式に参加しないことも確認されていた。こうした方針が決定された背景には、入学式当日に革マルが武装敵対してくることはないという情況判断があった。ところが前日の全学最高戦術会議では、革マルがどのような形で敵対してくるか予想できない状況では、部隊単位で敏速に動き、かつゲリラ的に部隊を守るように行動し、会場に突入して総長に団交要求を呑ませるしかないという提起がされ、討論の末それが通った。情況判断が真っ向から違ったのである。よって一文執行委員会としては、先の確認にしたがって4.2実行委員会への正式参加を留保することとした。

【4.2集会実行委員会の総括】

後日、4.21学生大会議案書レジュメに添付された「4.2集会実行委員会の総括」には次のようにある。「春休みでわれわれの活動に限界性があったことを考慮するとしても、現実的にそれが各学部の執行委員会、行動委員会、スト団実委のみの共闘の場と化してしまったことは、4.2集会そのものの限界性を生み出してしまった最大の原因ではなかったかと考える。また、執行部の問題で言えば、商、法、社会科学部三学部の執行委員会が実行委員会に参加しなかったことは、さまざまな意識を含んだわれわれの運動の共闘連帯がいかに困難かを物語っている。われわれはそれらの困難な課題をすべて大衆的に克服していかねばならない。少なくともその努力を怠れば、それはたちまち〈セクト主義〉に陥ってしまうと考える。」

【実行委員会の位置づけ】

4.2実行委員会と一文執行委員会の意見の相違は、当日の黒ヘル部隊とノンヘル部隊という形で現れた。さらに機動隊の規制によって黒ヘル部隊が切り離されたことで全体の指揮が乱れた。遅れを取り戻そうと全力で走った黒ヘル部隊に勢いがついたことも、結果として新入生に背を向けることになってしまった。
「そもそも4.2実行委の呼びかけ団体は各執行部の内部機関である団交実行委であり、それに対して各学部行動委、全学行動委、C連が応えた形であり、執行部の意志決定がされる前に各機関が勝手に動き出すという極めてアイマイなものであった。」(『一文有志の記録』から)
前述の「4.2集会実行委員会の総括」には、実行委の位置づけについて「現在、執行委の統一見解というべきものはない」としたうえで、執行委内にあったいくつかの見解をあげている。
1.実行委員会は総会決議に基づき、学生総体の利益を擁護する自治会の一機関とし、規約上は“特別委員会”として位置づけられ、個別の闘争課題を専門的に担い追求するために設置される。それは個別の課題を総会決議に基づいて執行する機関であるのだから、本来執行委員会の補佐機関に止まるのであって、不断に執行委と方針を論議し、最終的には執行委の方針に従うべきものである。
2.実行委とは自治会内部の大衆闘争機関であって、大衆参加のもとに学生総体の利益を追求する。従って、執行委の方針と一致しない場合には、独自の方針に基づいて行動することもありうるであろう。それは自治会機構の形式化を防ぐためでもある。


【当局の告示】

「新入生諸君へ
本日午前11時から挙行の学部入学式が、途中黒ヘル集団の乱入暴行により混乱に陥れられ、以後の式次第ならびに日程を中止せざるをえなくなったことはまことに遺憾である。
折角ご参集のご父兄ならびに新入生諸君に深くお詫びする次第である。
なお、村井総長の諸君への式辞原稿は印刷の上配布するので、各自、各学部・大学院各研究科事務所で受け取られたい。 以上
4月2日           早稲田大学」
同じ2日には商学部教授会名で「新しい学年を迎えて在学生諸君に訴える」と題した告示が出された。
その中では、まず大学の現状についてとして、「商学部では1300名に近い卒業生を社会に送り出し、新たに1400名の新入生諸君を加えることになった。諸君は伸び伸びとした気分で、この2ヵ月余の春休みを有意義に送られたことと思う。商学部は幸いに何の混乱もなく、47年度の学事の日程を終えることができた。これも諸君の良識と相互信頼のたまものであると信ずる」とし、商学部以外の学部では「授業や学年末の試験を正常な仕方で行なうことができず、便宜的な措置や異常な事態を新しい学年にもち越している学部も少なくない」のは、「11.8の事件を契機として生じたさまざまな問題と、大学の自治、なかんずく、学生自治の問題をめぐって相互の理解が得られないことに原因する」と続く。「新学年を迎えて、新しい自治会を構成する手続きが進められるであろうが、われわれは、それがルール(具体的には『学生会規定』)にしたがい、公正明瞭なプロセスを経て達成されること」への期待とともに「無用な混乱やあってはならない暴力行為」への憂慮にも言及している。大学が「理性の支配する学問の府である」ことから「学問を尊重する精神が横溢してくるならば、大半の問題はおのずから解決の方途が見出されるであろう」としている。
もともと商学部は革マルの勢力が強く、本部での拠点となっていた。11.8の後、警察の捜査で11号館が革マルの武器庫であったことが発覚したが、これは学部当局が私物化を黙認したことによるもので、革マル寄りの思惑を伺わせる。
その商学部でも12月1日の学生大会(1600余名参加)で、革マル系自治会常任委員会はリコールされ臨時執行部が選出されたが、新執行部樹立へは至らなかった。


【リンク】

4/2集会実行委員会の総括
4/2総括