1973年4月18日(水)10号館に入れず、本部前で新入生連帯討論集会。

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【概要】

四月祭の一環として10号館で予定されていた新入生連帯討論集会は革マルの妨害によって開催できず。本部前での集会となった。

【この日のできごと】

◎本部前で4.2集会実行委による「新入生連帯討論集会」開催。予定した10号館へは革マルが押しかけて武装衝突となり開催不能のため会場を変更。


【早大管理支配体制の構造】

新入生連帯討論集会で配布される予定だった「基調」には、11.8川口君虐殺当日の経緯に続いて、第二次早大闘争から11.8にいたる当局と革マルによる早大管理体制成立の概要が解説された。
「革マルは第二次早大闘争において早大全共闘に敵対し、少数派へと転落していった。しかし、「自治会」にしがみついた上でのテロ行使に裏打ちされた組織性は逆に強化され、密集した襲撃と陰惨なリンチを繰り返し仕掛けるなかで延命した。そして、いっさいの反対派を学内から放逐しつくし、『自治会常任委』『文連常任委』をかたって学生の代表になりすましたのである。言うまでもなく、その支配の維持の方法は反対派の摘発、テロ、恫喝、襲撃であった。
大学当局も全共闘を総括した。いつ、いかなる形で起こるやもしれぬ大衆の広汎な決起を唯一予防し得るのは、組織された管理支配暴力であることを。69年10.27告示は、警察権力の導入による学生大衆への抑圧を正当化しようとした。しかし、警察権力の常駐による管理支配の維持など、戒厳令下でもないかぎり『理性の府』としては無理な相談である。大学当局の結論は巧妙であった。それはつまり話のわかる学生大衆の『代表』が組織性をもって成長するのを見守り、時によっては、その育成に手を貸すことだった。『党の同心円的拡大』を自己目的化し、他党派解体を緻密に『位置づけ』ておし進める革マルの『自治会常任委』『文連常任委』は、大学当局の適性検査を難なく通過し、歓迎された。
(中略)
こうして、総体としての早大の秩序は安寧を保ち、早大管理支配体制という巧妙、不抜の支配秩序が早稲田の抑圧の主役となったのである。
早大管理支配体制は、表面的には着実に進展していった。しかし学園内部の矛盾はさらに激化せざるを得なかった。そして11月8日、その矛盾が一挙に露呈し、管理支配体制は頓挫したのである。だが、そうと見るや大学当局は11.13告示で虐殺の共犯者である自らの犯罪性を隠蔽し、更に11.17の告示で再び革マル『自治会』が復活するまでの間、管理体制の手直しを企画したのである。」


【リンク】

4.18「全事実を白日の下に!」新入生連帯集会基調